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映画レビュー

014 「わたしは、ダニエル・ブレイク」(2017)

<基本情報>
社会派で知られるイギリスの巨匠ケン・ローチが監督を務める。
2016年、第69回カンヌ国際映画祭で、「麦の穂をゆらす風」に続き、2度目の最高賞パルムドールに輝いた。
今作では、彼が、引退を撤回してまで、描かなければならなかった現状が浮き彫りになり、社会風刺が炸裂する。

 この作品のテーマは「貧困」だ。だから、とてもタイムリーだと思う。消費税の増税、弱者切り捨て、非正規雇用の増加など、どうみても暮らしやすい社会とは言えない日本にも、往々としてその問題は、ある。生きていくには、お金が必要である。ほっといても腹は減るし、家賃だって、払わなければならない。だけど、いろんな事情で、働けない人だっている。そんな奴は、ひっそりと死んでいけというのだろうか。

 主人公・ダニエルも、心臓の病気を患い、国に援助を求める。本来なら、福祉が役割を果たすときだ。だから、僕らは税金を払っているのだ。政治家や公務員のいい暮らしを支えるためではない。けれど、彼をとりまく環境が、好転することはない。それは、観ていて、とても悔しい。行政にたいする不信、苛立ちは、どこの国にも、少なからず、あるんだと考えさせられる。何のためにあるのか分からない制度、決まり、規約。それに振り回される市民。

 シングルマザーのケイティも、同じく生活に困窮している。彼女が空腹に耐えきれずに、人目もはばからず、食べ物をほおばるシーンが印象に残っている。よく考えないで子どもをもうけるからだとか、頼りない父親を相手にするからだとか言う批判は、すべて的をえていない。だれしもが、自分の人生を、思いどおりになんかできない。そんなことはないという人は、たぶん圧倒的に環境に恵まれているからだろう。ほとんどの人は、そうじゃない。

 この物語は、どんなに貧乏でも、けっして人間の尊厳を失わない、誇り高い人間の姿が、ありありと刻み込まれている。うまくいかない人生にたいして、容赦なく自己責任論を、ぶつける。そんな理論は、なにも信仰を持たない愚者の戯言だと、無視すればいい。彼らは、ただ資本主義の虜になっているに、過ぎない。社会は、いとも簡単に、個人を追いつめる。胸に宿る、崇高な炎を、荒々しいタッチではなく、淡々と静かな怒りとして表現している作品だ。

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映画レビュー

013 「おじいちゃん、死んじゃったって。」(2017)

<基本情報>
ソフトバンクなどのCM演出を手がける、森ガキ侑大が監督を務める。
映画初主演となる岸井ゆきのが、祖父の死をきっかけに、親族たちとの交流を重ね、本当の家族の形を模索していく主人公を熱演。
親類たちを岩松了、水野美紀、美保純、岡山天音が演じる。

 家族も、いつか亡くなる。存在することが、あたり前すぎて、その不在を想定するのが困難なときがある。ふと、そうした時期にさしかかったときに、噛みしめる感情がある。どうして、人は大切なものや、かけがえのないものを、失ってからじゃないと、気付くことができないんだろう。幼い頃に世話になった、恩を返したいと思う頃に、その人は、もういない。

 吉子(岸井ゆきの)は、彼氏とセックスしている最中に、ある電話をうける。それは、祖父の死を報せるものだった。そのことについて、彼女は罪悪感を持ってしまう。べつに、悪いことをしているわけでは、ないのだけど。生と死と性が、複雑に絡み合う世界は、どこか虚しくて、寂しい。自分の中にある孤独を再発見していくなかで、それでも、葬儀に集まった親戚たちと、言葉を交わしていくうちに、死者にたいする尊厳を学んでいく。

 海外でロケが行われたシーンがある。たぶん、国や宗教によって、死を弔う方法だったり、死んだ後の世界の考え方だったりが、いろいろ違ってくる。彼女は、祖父の葬儀のあと、インドを訪問する。それが、示す意味だったり、捉え方はひとそれそれなのだが、僕は、すごく必然的な流れだと思った。死という、いっけん、悲しい事柄に該当するものにたいして、ふたをするんじゃなくて、日常の身近なところに、それは、あることを、教えてくれる。

 脇をかためる、親類たちの演技が、とてもナチュラルで、共感できる。家族って、そんなものだよねとか、たまに親族で集まったら、そういう展開が起きるよねっていう、すごくありふれた場面を、あらためてスクリーンを通して鑑賞するという体験は、今まであったようで、ないものなので、新鮮だ。親戚の叔父さんが煩わしかったり、小言をいってくる母を避けてしまったり、痴呆症の祖母を面倒に思ったりするけど、家族というシンプルな関係を、再構築していく物語は、力強い。

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詩的表現

シグナル

頭の中で

浮かび上がる

物語は

いかにも

陳腐だ。

空想で

出来上がった世界は

リアルさの欠片もない。

でも

僕たちは

ストーリーを

紡ぐことを

静止できない。

自分を理解する術を

それしか

持ち合わせていないからだ。

連続する時間は

わずかな

振動をおこし

自己の目覚めを

待つ。

美しいという

概念は

もはや

過去の遺物に

成り果てる。

醜さ、醜悪さ、歪さが

世界を覆う。

悪が放つ

シグナルを受信した者だけが

強者になりうる社会に

なにを

望めば

いいのか。

正しさを

説こうなんて

思っていない。

無機質な感情が

行き場をなくす。

もし

愛について

あなたが

知りたいというならば

僕は

風に吹かれればいいと言うだろう。

思い出の中に

存在する

丘に登り

鼻歌まじりで

立ち上がる時を

待つ。

それから

君の旅が

始まる。

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思考

最後の砦

 自分の力で、人生を切り開くなんて、とてもかっこのいい言葉だ。それが、できたら、何も苦労なんてしない。目に見えない力に、頼ってしまう。いっそのこと、あなたの運命は、もう初めから、決まっているというお告げが、あれば、僕はすんなり、受け入れてしまうだろう。それほど、生きることは、過酷と、無慈悲に溢れている。

      ★     ★     ★

・正体は、いずこ
 生きづらさについて、僕らはもっと、おおっぴらに語らなければならない。絶望のなかで、生き抜こうとしている名もなき誰かが、諦めに辿り着き、自ら命を絶つ。身寄りのない浮浪者が、助けを呼べずに、ひっそりと路上でことぎれる。生活に困ったシングルマザーが、心中しようとする。彼らを、追いつめたものの正体をつきとめる作業を避けるように、世間は、なにもなかったかのように、忘れていく。

・競争が全てなのか
 そんなの自分のことで精一杯だ。他人に優しくしているうちに、置いてけぼりをくらう。明日が、我が身だ。相手を蹴落とさなければ、自分が貧乏暮らしだ。できることなんて、ない。責任を負うなんて、まっぴらごめんだ。お金を、生み出さない行為に意味なんてないし、やるだけ無駄。徹底的にコストを切り詰めて、利潤を最大化しよう。だから、非正規雇用者が、生活できなくても、構わない。それが、資本主義の国の在り方だ。

・宿痾
 これは、もう僕らの宿痾だ。なにからなにまで、株式会社のような仕組みにしてしまった過ちの歪みが、表面化している。利益を追い求めることを、いけないとは思っていない。別に、好きにやればいい。例外的に、無欲さや公徳心を求めるのも酷だ。問題は、市場原理主義が、いまある全ての組織の基本みたいになっていることだ。でも、それじゃあ、国は良くならないし、弱者を救ったりはできない。ここで、僕が、はっきり言っておく。

     ★    ★    ★

 「夢」や「希望」が、あまりにも、僕とは関係のない言葉になった。何者かになろうなんて、はなっから考えてはいない。他人に迷惑をかけてはいけない。お上の指示に、逆らってはいけない。税金を払いなさい。良き市民でありなさい。僕を縛りつける号令が、言霊のように降り掛かってくる。息の詰まる社会で、だれしもが、声を上げることなく、必死に小さな幸せだけは、守ろうとしている。最期の砦として。
 いまのやり方で、富を蓄えられている人は、そりゃ変えたくないでしょ。既得権益を守るために、現状維持を望むのは、あたり前だ。そして、波風をきらう、従順な日本人は、トップのいうことに素直にきく。それは、とても住みにくい社会だと思う。政治って、いったい誰のためにあるのかを考え直してほしい。

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詩的表現

オルタナティヴ

いつまでも

そこで

幻想に

つかっていてばいい。

けれど

現実は

刻一刻と

進んでいく。

この先

何十年後の

国の姿を

予測できる者など

存在しない。

でも

ずっと

経済が

成長していくというのは

妄想だ。

だから

僕は

オルタナティヴを模索していく。

企業に守られて

いい思いをする

人間の数は

限られてくるんだから

競争に勝たなくちゃいけない。

だから

勝ちのぼる

努力をしないやつは

底辺で

貧乏暮らしを

していればいい。

資本主義の波にのることが

たったひとつの正解なんだから。

そう考えている奴は

別に好きにすればいい。

好きなだけ

儲ければいい。

自分が生きている時間だけ

思い通りになればいい。

その先のことなんて、

お前らが自分で考えろよ。

そんなんで

いい国になるはずなんてない。

いつから

僕らは

「知性」を

捨ててしまったんだろうか。

もう

なにも考えない大衆の

一人になるのは

ごめんだ。

だから

声を上げろ。

腐りきった世界に

希望を見出せ。

絶望に

負けるな。

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映画レビュー

012 「彼の見つめる先に」(2018)

<基本情報>
「ブラジル映画祭2015」で上映され、3年間の沈黙を経て、2018年、劇場公開された。
2010年の短編映画「今日はひとりで帰りたくない」を、ダニエル・ヒベイロ監督自身が、同じ俳優陣を起用し、長編化した。
盲目の高校生・レオと、幼なじみの女の子・ジョバンナ、転校生の少年・ガブリエルを中心に、若者の多感な日常を、いとけない部分を残しながら、鮮やかに映しだす。

 主人公のレオは、目が見えない。それをからかう同級生がいる。それでも、同じ教室で、みんなと同じように机を並べて勉強するシーンが、印象に残っている。障がいという特性を理由に、子どもたちを分断しない。きっと、ブラジルの教育環境では、はやいうちから、この社会に、多様な属性をもった人間がいることを知ることができる。たぶん、学校とは、本来、そうあるべきなんだということに気付く。

 そして、彼は、転校生のガブリエルと距離を縮めていく。その内容をみるかぎり、この作品は、障がいをテーマにしているだとか、同性愛を主題にしているという、誤解をうむことになる。一度、この作品を観て欲しい。ここで営まれている世界では、両親に愛され、クラスメイトの助けられながら日々を紡ぐどこにでもいる、目が不自由な男の子が、あたり前のように、ごく自然に、少年と恋をする。

 日本にも、同性同士の恋愛を描いたドラマや映画はある。でも、まだ色物扱いを、抜けきれていない。それは、まだ、性の多様な在り方や、LGBTといったセクシュアリティーにたいして、寛容になっていないからだろう。でも、まず、ここで僕ら当事者が、発信しなければいけないのは、この社会で、同じように悲しみ、傷つき、ときには、笑いあって、なんとか日々を乗り越えようとしている事実だけだ。それを、この映画は、教えてくれる。

 それでも、理解が生まれないのなら、適度な距離感を、保てばいい。なにも、みんながみんな、違いを認めあいましょうみたいな考えに、染まることはない。ただ、映画という手法で、同性愛や、障がいを取り入れたものを、世の中にむけて、作ろうとしている表現者がいることが、僕は、嬉しい。たぶん、そうすることで、社会における反感や差別に目を向けたり、新たな気づきがあるからだ。

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favorite song

プリズム

ちゃんと

しなくては

いけない。

いつから

そう思ったのだろう。

もともと

不完全な

僕らが

行き着く先は

たかが

しれている。

なのに

いつか

本当の安心に

包み込まれる日を

願う僕らは

なんて

浅はかなんだろう。

陽炎のなかを

彷徨ううちに

見つけた音楽。

novelbright(ノーベルブライト)の「walking with you」。

正気をなくし

自分を見失ったとき

道しるべのような

君に出会った。

こんな歌のように

まっすぐに

表現できたら

いいのにな。

プリズムの空が

ひろがる。

空気が

研ぎすまされ

呼吸が

楽になる

瞬間が、好きだ。

もしこの先が

いばらの道でも

僕は

歩いていけると思う。

どこかに

属さなければ

病んでいってしまう

人間の本質が

憎い。

社会から排除される感覚は

権力側に

いる人にとって

ちっぽけなものなんだろう。

こんな場所で

だれに届いているかも

わからない言葉を

紡ぎだす僕を

あなたは笑うだろう。

それでもいい。

だれかの

気の迷いに

そっと、寄り添えれば。

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詩的表現

サクリファイス

声にならない

想いがある。

それは、誰かに届けばいい。

けれど、現実は、伝わらない。

人知れず、頬をつたう涙が、

今を生きる空虚を

物語っているみたいだ。

あなたが

知らぬうちに手に入れている

権力や、権威が

いつも、怖かった。

そんなことは、つゆしらず

平然と

この社会の階級を

のぼっていく。

もう、たくさんだ。

勝ち目のないレースに

参加し続けなければならない過酷さを

思い知ればいい。

僕は、サクリファイスなのかもしれない。

もう、すべてに意味を

見出そうとするのは

やめよう。

自己肯定を

無惨に奪っていく

あなたが憎い。

底知れぬ不安は

今日も

夜の闇に消えていく。

この世界が

いつまでも変わらないのは

抑圧された人間なんて

存在しないと思われてるからだよ。

その方が

都合がいいのね。

ただ、ただ

語られぬ

文字にならない

意識の総体が

つもっていく。

今夜は

それを燃やす祭典だ。

だから、ひとときの間、

猶予を贈答する。

眠れない

きみに向けて。

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社会の出来事 自分のこと

3つの命

 朽ち果てていく定めのなかで、どう足掻いても、心のゆきどころが見つからない。ただ、社会化を目的に教育された僕たちが、誰からも侵されない自由を手に入れるなんて不可能なのだ。もし、落ち着ける場所があるならば、それはきっと深い眠りの間に存在する、薄暗い闇と悲しみが入り交じった、荒れ果てた宇宙のなかだ。

   ★    ★    ★

・いびつ
 「知性」という怪物が、体の奥の方を、刺激する。いつの時代にも、愚かな民衆はいた。移りゆく時間は、一向に止まる気配はない。ある前提条件が前置きされた状況で、たくさんの人間が選択してきた制度は、歪だ。整合性のとれたものを求めて人間が、試行錯誤してきたならば、その所業は、失敗に終わったといっても過言ではない。

・覚悟をみせろ
 僕はここで、安倍政権批判をしたい訳じゃない。でも、目に余る偏向報道について、何かを言わなければいけない焦燥感が拭えない。ニュートラルな立場での言論は、誰かの熱狂的な支持を得ないかもしれない。でも、メディアの果たす役割を考えたとき、名もなき人々を傷つける言葉を選んではいけない。権力側に、すり寄るんじゃなくて、公平に批判を展開しなければならない。僕の怒りの発生源を、突き止める作業は、困難を極める。きっと、そこで暮らす市民は、世の中の空気を、敏感に読み取っている。利権に群がる連中がいることを知っているし、自己の保身に走る汚い大人がいることも知っている。もし、良識に反した意見を押し通すなら、その覚悟を見せろ。自分の思想に、賛同してくれる人にだけ向けた言葉はいらない。

・覚醒
 僕は、この世界に、3度、生まれた。1回目は、母親のお腹から産まれおち、産声を上げたとき。2回目は、自分のセクシュアリティーを自覚したとき。3回目は、父親が死んだときだ。それぞれの節目で、覚醒とも呼べる、なにか研ぎすまされた知覚を覚える。どうしようもない不条理や、生まれた国によって違う待遇、多様な文化、人間の尊厳、そんなものを、知ったんだと思う。社会における、自分の階級、居場所、立場を、確立していくなかで、弱者と呼ばれる層が存在することから、けっして目を逸らしたくなかった。いつだって心のひだに届くのは、どん底にいても、けっして希望をすてない人間の姿なのだ。それを、笑って馬鹿にする行為を、僕は許さない。

    ★    ★    ★

 自分が、どう格付けされているのかを執拗に気にする人が一定数いる。日本は、韓国より格上だ、その事実を脅かすものには攻撃しなければならない。でも、僕は思う。自分のよりどころは、たぶん、自分にしかない。死にむかっていく過程で、思い知らされるのは、孤独という感情が、あまりにも僕らを、覆っていることだ。たぶん、死ぬ時も、一人だと思う。想像だけど。誰かと一緒に、死ぬことはできない。光に、すべてを期待する時代は、終わった。命の店じまいにむけて、淡々と生きるのだ。

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映画レビュー

011 「しゃぼん玉」(2017)

<基本情報>
テレビドラマ「相棒」で知られる東伸児が、劇場映画で初めての監督を務める。
直木賞作家に名を連ねる、乃南アサのベストセラー小説を映画化。
社会から孤立している青年を林遣都が、田舎に住む老婆を市原悦子が、それぞれ演じる。

 道を踏み外し、非行に走る人がいる。そんなやつらは、どうしようもないんだから、社会からそそくさと排除されてしかるべきだという意見は、あまりにも、稚拙だ。悪に手を染めることでしか、生きていく手段がなかったとき、迷惑をかけず一人で死んでいくべきだったという理論は、この世界をどうしようもなく、息苦しくする。

 宮崎県の自然あふれる景色が、観るものを癒す。美しい映像なので、実際に訪れたい気持ちになる。たぶん荒んだ心を回復するには、緑に囲まれた場所で、ゆっくり静養することが、必要なのかもしれない。主人公の青年・伊豆見もまた、温かい田舎の人々にふれ、少しずつ更生していく。

 村で、一人で暮らすおばあちゃん(スマ)の台詞が、印象的。「坊はええ子」という言葉が、荒れ果てた伊豆見に染み渡っていくのが、分かる。誰にだって、褒められたい時がある。でも、世間というものは、冷たいのが常だ。この物語は、優しい素直な村人たちが、僕らに、生きる価値があるというあたりまえのことを、教えてくれる。

 居場所のない哀れみは、いつか焦燥にかわる。あなたは、そこにいてもいいんだよという、簡単な言葉が、届かない。必要とされることの難しさ、あるいは、人生が行き詰まるジレンマが、行く手を阻む。もう、どこにも行くあてのない人間が、豊かな精神性を帯びていく姿は、王道なストーリーかもしれないけど、胸をうつ。