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映画レビュー

033 「エアフォース・ワン」(1997)

<基本情報>
アメリカ合衆国の指導者、ジェームズ・マーシャル(ハリソン・フォード)を乗せた大統領専用機「エアフォース・ワン」が、テロリストによって、ハイジャックされてしまう。
果敢なアクションを交えて展開される、痛快な作品。
監督は、「アウトブレイク」のウォルフガング・ペーターゼンが、務める。

 終始、緊張感が漂う。まだ、子どものときだったんだと思うけど、ハラハラ、ドキドキした感覚が、記憶の片隅に、残っている。権力を有する人物は、どのような資質を、持ち合わせるべきなのか。たとえ、どんなに偉い階級の人間にも、家族がいる。個人的な感情か、公的な立場における責任の、どちらを、優先するべきか。たぶん、この映画を観る人の、ほとんどが、一般社会に身を置いていると思う。通常では、考えられない決断を、余儀なく迫られるシーンの連続は、僕らに、張りつめた心地を、与える。

 この当時の世界情勢と、今とでは、大きく異なっている。中国の目覚ましい経済成長、グローバル化する社会、深刻化する環境汚染、躍進するインターネット、国際社会におけるアメリカの立ち位置、さまざまな変化が、おとずれている。だからと言って、古い作品に、価値がないというわけではない。世相を反映したものが、面白いかといえば、そうではない。小難しい社会問題について考えるために、エンターテイメントが、存在している世界は、嫌だ。ただ、今を生きているリアリティー、他者を尊重する繊細な感覚、固定観念にとらわれない柔軟な発想、それを、刺激するものを、僕は、求めている。

 テロリズムが、台頭している。それは、もちろん(暴力を肯定しないという意味で)拒むべきだ。この作品は、もちろん、アメリカの目線に立ったものである。たえず、テロに屈しない米国側に、正義があって、それを脅かす思想には、悪が宿ることになる。それは、それで、自由や民主主義を、大切にする者として、格好いいと思うところもある。だけど、みんながみんな、その枠組みに、はまることはない。この世界は、さまざまな視点が溢れ、かつ複雑にできている。それを、ふまえたとき、この作品の、意味が、増幅していく。

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032 「ハナレイ・ベイ」(2018)

<基本情報>
2005年に、刊行された村上春樹の短編集「東京奇譚集」に収められている小説を、映画化。
監督は、「トイレのピエタ」の松永大司が、務める。
ハワイのカウアイ島で起こった、ある親子に纏わる、不思議な物語。

 鑑賞後に、この映画に出会ってよかったなと思うときがある。反対に、あまり自分の肌には合わなかったなというときもある。いわゆる、あたりだったか、はずれだったかを、つい分別してしまう。本作は、僕にとって、どちらかと言えば、はずれだった。物語が、淡々と進行していく。起伏に乏しく、感情を揺さぶる展開に出くわさない。けれど、なぜこの作品を、レビューしようと思ったのか。それは、印象度の高さだ。つまらない、だけど、全体に帯びる、独特な雰囲気が、僕の心に、残っている。

 まず、僕は、村上春樹という作家の作品を、好んで読んでいる。彼が紡ぎだす文章が、物語として作用するとき、この世界にひとつの、歪みが起きる。それを、きっかけに、魂が、ここじゃない、非現実的な場所へと誘われる。それは、あくまで、小説という形として活字からうける、僕の感想だ。それを、実写化して作品にするというのは、たぶん、とてつもなく難解だと、思う。原作が持っているオリジナリティーを、損なわず、かつ映画という異なる手法で、表現する。万人には、うけない。だけど、あるタイミングが合致して、巡り会うべきときに、この映画に触れたとき、たぶん、あなたのわだかまりが、すっと晴れるかもしれない。

 大切な人を亡くしたときに訪れる、喪失感。その感情と向き合うたびに、なにかが割れたような音がしたように、心が痛い。タカシ<佐野玲於(GENERATIONS from EXILE TRIBE)>の突然の訃報を、母親・サチ(吉田羊)は、長い年月をかけて、受け入れていく。それは、他人からすれば、一風変わった、狂気に満ちた行動にうつる。だけど、人間は、べつに、いつも決まりきった行いをするとは限らない。悲しい時に、僕らは、本当の自由を手にする。家族だから、すべての価値観があうことはない。うまくいかないときもある。それでも、死んでしまった息子への思いを、彼女は、少しづつ、形にしていく。その過程でみせる、表情は、言葉では形容しがたい神秘性に、包まれている。

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社会の出来事

幸福の欠片

 過去の宿る場所について、思考する。教科書に記載されている歴史的事実を、振り返っても、意味がない。その当時の記憶は、ひとり一人の心の内部に、あるいは空間や物に、つめこまれているからだ。つねに再構築される過去は、もはや原型をとどめていない。学校や、家族、職場、いろんな集団に属する僕らは、それぞれの風景を、心に描く。それを基に、社会を考察することが、重大性を増してくる。

    ★     ★     ★

・映画好きの戯言
 パニック映画というジャンルがある。未曾有の自然災害に見舞われたり、隕石が地球にぶつかったりする。いずれも、人間が窮地に陥る。これらの作品は、いつか現実として、そんなふうな問題に、人類が遭遇したときに、パニックにならないために、制作されているという噂を聞いたことがある。(本当かどうか、分からないけど)
 そして、いま、コロナウイルスが、生活環境に、大きな影響を及ぼしている。緊急事態宣言が発令されて、緊張感が高まっている。感染症の流行が描かれているストーリーに、一度はみな触れているはずだ。なにも、映画の世界みたいなことが、そっくりそのまま起こっているわけじゃない。だけど、それに近いことが、起きようとしている。そんなとき、僕らができることって、そういえば、こんなふうな映画を観たことがあるなと、ふと冷静になることなんじゃないだろうか。これまで培ってきた想像力を、今、発揮するときだ。僕は、そう思っている。

・物語のなかに身を置く
 「E.T.」を観て、異星人とのファーストコンタクトを学ぶ人間が、いてもいい。いわば、物語のなかに身を置くことによって、現実の出来事を解釈する。というか、それくらいのことしか、人間はできない。僕らは、自分が、何者かを、知る由もない。ただ、男であったり、女であったり、赤ん坊であったりする自分を、なんとなく、生きている。でも、それでいい。他者と共存していくという、理念さえあれば、優しくなれる。

・ささやかな抵抗
 経済が、滞る。それは、資本主義社会において、致命的だ。だけど、それよりも、命を優先することが必要とされている。外出を控えることを要請するならば、それにともなう収入の減少分を補償をするべきだという批判は、べつにここじゃなくても、あちこちで、言われている。ここで、こてこての政権批判をすることは、僕の、本意ではない。
 だけど、なにか、文句の一つでも言わなければ、事態は、悪化してしまうんじゃないかという危機感が、ある。安倍政権への、不満を、言葉にできない状況は、好ましくない。利権が絡んでいたり、保身のためだったり、(少なくとも僕にとっては)どうでもいいようなことで、国民の生活を守れない政策は、いらないと、はっきり言うべきだ。それは、こんなへんてこなブログに綴る文章で、けれど、まちがいなく国民のひとりである、僕の、ささやかな抵抗だ。

      ★      ★      ★

 僕は、弱虫だ。無能だといってもいい。だけど、唯一、誇れるものがあるとするならば、私が私であり続けるという、強い意志だ。状況が、刻一刻と変化する情勢において、先手を打つことは困難なのかもしれない。専門家の意見でさえ、わかれてしまう。何を信じたらいいのか分からない。不安になることも、ある。それでも、営みのなかに眠る、何気ない会話の中に隠れている、幸福の欠片は、決して、消えやしない。

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031 「宮本から君へ」(2019)

<基本情報>
新井英樹の人気漫画を、映画化。
2018年には、テレビ東京で、ドラマにもなっている。
監督は、「ディストラクションベイビーズ」の真利子哲也が、務める。
宮本浩次×横山健がタッグを組んで、仕上げた楽曲「Do you remember?」を、主題歌に起用。

 僕は、映画を観終わったあとの、余韻にひたるのが好きだ。時間が経てば経つほど、思いが強くなっていく。だけど、この作品は、鑑賞中から、なにか凄いものを観せられているんじゃないかという気がしてくる。それだけ、疾走感や、熱量が、リアルに伝わってくる。男女の恋愛の在り方を、根本から問いなおすような気迫が、満ちている。夏には、浴衣を着て花火大会に行ったり、冬に温泉で温まったりとかいうような、生温い体験を、映像化しているわけじゃない。まさしく、人間対人間の、奥底に眠る感情の、ぶつかり合いだ。

 この俳優さんが、好きだから、観てみようという、きっかけになることは、多々ある。それにあたるのが、僕にとって、蒼井優という女優だ。どの作品を観ても、しっかりと、爪痕を残す。ナチュラルな演技にもみえる。だけど、けっして平凡な脇役にならない希少性を、もっている。女のいやらしい部分だったり、弱くて惨めにうつる人には見せたくないような内面まで、しっかりと表現する。たぶん、自分の日常に、出くわしたら、ぎょっとするような役柄もある。でも、スクリーンの中で、水を得た魚のように演じる彼女は、美しいのだ。

 女性と交際すること、結婚すること、子をもつこと、それが、男にとって、こんなにも、苦難が待ち受けていることを教えてくれる。普通、うやむやにしたくなることを、宮本(池松壮亮)は、言葉にして、中野靖子に伝える。そのすがすがしさが、なんともいえない魅力になっていく。真正面からは、おぞましくて見るに耐えない、男の加害性。この作品を観たら、たぶんほとんどの人が、男が、いやになると思う。それでも彼は、この2時間をかけて、真の男の在り方を模索しようと、翻弄する。それは、まぎれもなく、宮本から、あなたへ向けた、ファンファーレだ。

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030 「ハートストーン」(2017)

<基本情報>
第73回ベネチア国際映画祭など、世界の40以上の映画賞を獲得する。
アイスランドの雄大な自然を舞台に、思春期をむかえる人間の、瑞々しい感情をリアルに描く。
監督を、グズムンドゥル・アルナル・グズムンドソンが務める。
主人公のソール役は、今作で俳優デビューとなるバルドル・エイナルソンが演じる。

 大人になることは、避けられない。時が進む。それに、ともなう感情の変化は、否応がなしに訪れる。たぶん、性に目覚めていくころに、どんな友人と過ごすかによって、今後の人生に大きな影響を与える。意地悪なやつがいたかもしれない。弱者や変わり者を、虐めるやつ、あるいは、寛大な性格で、心の優しいやつ。それら、すべての人物が、自分の一部になって、混ざりあう。何をよしとし、何が悪いことなのかを、識別していく。いわば、正義の概念が、かたどられていく。その、刹那的な、一瞬の日常を、この作品は、映像化する。

 異国の文化や習慣を、目にすることによって、わき起こる、繊細な感覚。ビルに囲まれた都会空間で、育った者には、理解できない感性。今いる自分の場所を、より深く見つめ直していく作業が、必要とされる。映像美と相まって、増幅していく、他者への淡い気持ちを、明確に表現していく。少年たちの、澄み切った瞳にうつる景色は、どんな色なのかを、想像する。その頃にしか、味わえない体験をしていく彼ら、彼女らの姿は、観るものに、昔の記憶を思い起こす。いっけん脆いようにみえて、ときに残酷性が、垣間みられる幼い表情。それは、閉塞感が漂う、小さな漁村で、生きていくことの真実を、象徴する。

 金髪の少年・クリスティアン(ブラーイル・ヒンリクソン)は、幼なじみである同性のソールに、惹かれていることに気付いていく。そのときの、息苦しさ、絶望、嫌悪感を、等身大の自然な演技で、表現していく。田舎町で暮らしていくこと、家族との関係、かけがえのない友情、それらすべてが、ゲイというアイデンティティーの確立を、困難にする。ずっと、なにも知らない子どものままで、いれたら、どんなに楽だったかと思う。うまくいくことばかりじゃない。傷つくこともある。それでも、必死で自分と向き合おうとするティーンエイジャーの姿は、まぎれもなく青春の全部だ。

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029 「永遠のこどもたち」(2008)

<基本情報>
2008年アカデミー外国映画賞の、スペイン代表に選出される。
製作を、「パンズ・ラビリンス」のギレルモ・デル・トロが、担当する。
今作が長編デビューとなる、J・A・バヨナが監督を務め、本国でも、多数の賞に輝く。
息子であるシモン(ロジェール・プリンセプ)に対する、母親の深い愛を、切迫感をもって描く。

 僕は、ホラーを好んで観る方ではない。怖いのが、あまり得意ではなく、なんなら穏やかな気持ちで、終わりを迎えたい。だけど、この作品は、優しい感触が、しっくりと心に爪痕を残す。まず、特定のジャンルに分けるのが、難しい。しっかりと、恐怖を煽る演出も含んでいる。だけど、それだけじゃない。ファンタジー要素や、スピリチュアルといった精神世界に誘う世界観もある。魂の行方を、模索していく。そんな、途方もない行為を、念入りに練られたストーリーとともに、描写していく。

 母が、子を想う。それは、一見ありふれた感情かもしれない。だけど、その奥には、人間の過去や、記憶が、眠っていることを思い知らされる。愛情に飢える者、溺愛されて育てられた子ども、横行する虐待、幾重にも重なる、親たちの複雑な思惑が、社会にのみこまれていく。どうして、他者を愛することは、願い叶わないんだろう。相手に、思いをぶつけるたびに、すかされる。まるで、自分の存在が、無意味に感じる。空虚に満ちた、尖ったナイフが、どこかでまた、誰かを傷つけていく。なんらかの救いを求める、亡者の声が、虚しく響きながら、命あるものに、伝言を送る。それに、明確な言葉は、いらない。

 死後の世界を、思い描く。僕らが、所属している社会によって、異なる思想は、いつか集約され、ひとつになるんだろうか。生きていくことに、苦難が立ちはだかる。それでも、死んでしまった先に何があるのかが、分からない。浮遊する思考たちが、埃みたいに、舞っている。そこに差し込む太陽の光が、恒久性を帯びているかのように、輝く。安心をもたらす答えは、一向にみえない。そこはかとなく、湧き出る悲しみは、たぶん尽きない。それなら、遠い記憶に秘められた母性に、立ち返る。きっと、そこは、子どもたちの、永遠の住処だ。

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028 「キンキーブーツ」(2006)

<基本情報>
イギリス発の、ユーモラスな作品。
良質な映画で評判の、ミラマックス・フィルムズが手掛ける。
ジュリアン・ジャロルド監督が、初の長編劇場として送り出す感動コメディーである。
「インサインド・マインド」のキウェテル・イジョフォーが、ドラッグクイーン役ローラを、熱演。

 観終わった後の、爽快感が抜群。不思議と幸せな気持ちになる。べつに難しいストーリーを追うわけでもない。暴力や、セックスが描かれているものでもない。だけど、人を惹き付ける魅力が、この作品には、ある。僕には、僕の視点が存在する。たぶん、それは、みんながみんな、同じではない。好き嫌いが、わかれることは、珍しくはない。すべての人間の感性を、網羅しようとする物語は、つまらないだろう。画一化されない、歪な価値。言葉にできない、不確かな差異。そのままの姿で、あなたは美しいんだと語る、彼らの奮闘は、観る人の心を掴む作用に、満ちている。

 とある靴工場の再起をかけたお話。ものづくりに携わる職人たちと、優柔不断な跡継ぎ、チャーリー(ジョエル・エドガートン)が、生き残りをかけて、懸命に、力を尽くす。資本主義が席巻する社会で、いつの間にか、僕らは、いかに、物を売るかばかりを、考える。少しでも利益を得ようとする貪欲な野心、労働者の不満、先の見えない不景気、降り積もる不安の先に待ち受ける未来は、まだ、みえない。その中でも、希望を見つけていく、逞しい人間は、優しさをかね揃えている。そこに、救いがあるんだと、教えてくれる。

 キンキー(kinky)とは、「性的に倒錯した」という意味をもつ。女装することは、いったい、彼らにとって、何を指し示すんだろう。田舎町ノーサンプトンに住む、工場の人たちの、ローラにたいする反応が、印象的。女性の格好をした、大柄な黒人男性。自分とは異なる性質をもつ、理解したくても、それに及ばない人間への、偏見、無理解、差別。LGBTという枠に、収まることによって、得ることのできる市民権。これまでの歴史における、マイノリティーの立場。いろいろ、言いたいことはある。そんな話を抜きにして、この映画は、人間の生きていく力、自分らしくいることの素晴らしさ、幸せになろうとする屈強さを、見事に、表現している。

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favorite song

春を、想う

この季節が

嫌いだ。

着実に

変わっていく

温度。

それに呼応して

めまぐるしく

急降下する

暮らし。

そして

何も変わらない

自分。

不安や

葛藤が、

うきうきと

つのっていく。

おだやかな

心持ちを

保ちたい僕は、

こんな歌を

口ずさむ。

よしむらひらくの「春」。

涙が

こぼれる。

人間の

機能が

正常である証。

はいつくばりながら

ひたむきに

集めようとする

希望は

見事に

指の

隙間から

こぼれていく。

悲しみを

ありのまま

受け入れるのは

くだらない。

いっそのこと

血が流れれば

いいのに。

退屈なのかも

分からない

日常は

雑然としている。

だから

ここに

印をつける。

孤独に

さいなまれ

自分の

居場所が

分からなくなった時は、

ここに

戻ればいい。

あなたにとって

豊かさは

何を

指し示すんだろう。

それが

明確になったとき

変わりゆく

時季が

味方になってくれる。

そんな

陽春を

僕は、想う。

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027 「マイ・フレンド・フォーエバー」(1995)

<基本情報>
多くの人が、涙し、彼らの友情に、心打たれる。
俳優としても活躍するピーター・ホートンが、初のメガホンをとる。
原題は「the cure」(治療法)。
主人公のエリックを演じた、ブラッド・レンフロは、25歳で、ヘロイン過剰摂取により亡くなっている。

 いつまでも、記憶に残る映画が、ある。僕にとっては、この作品が、それにあたる。ひとつの物語に触れて、泣くという行為にいたる体験は、とてもセンセーショナルだ。たぶん、スクリーンを前にして、涙ぐんでしまうほど、哀傷を感じるのは、よっぽどのことなんだと思う。だけど、無理矢理に、感情を揺さぶろうとは、しない。自然と、視界がにじんでしまう。そんな風に、俳優らの迫真の演技を交え、ストーリーが展開していく。

 かつて、HIVは、不治の病だった。エイズ患者にたいする差別も、存在していた。僕らは、どんなに正しい知識を得ても、未知のことに不安になる。病気や、属性を、理由に、排除しようとする態度に、いともかんたんに陥ってしまう。幼い頃にうけた輸血のせいで、エイズを患ったデクスター(ジョセフ・マッゼロ)もまた、孤独な人生を、送っていた。そんな彼に、舞い降りた出会いは、いつまでも消えない結晶のようだ。きれいであるほど、はかない定めをうける運命とは真逆みたいに。

 2人の少年はともに、父親のいない家庭に暮らすという境遇にあった。一方の母親は、病気の子に関わる我が子を、糾弾し、離れさせようとする。関係は、上手くいっていない。シングルマザーとして生きる苦難を、だれも理解しようとしない。そのもどかしさが、怒りになって、表出する。けれど、エリックは、決して、愛情に飢えていることを理由に、他人を傷つけたりしない。偏見をもたず、隣に引っ越してきた、難病を抱える少年と、交流を深めていく。

 デクスターは、自分の病気を受け入れつつも、どんどん弱っていく身体に、恐怖と悲しみを、感じている。子どもがもつ、やがて、おとずれる「死」への想い、感情。それは、ほんとうに観ていて、痛々しい。普通なら、悲観してしまう状況でも、ひたむきに生きようとする姿は、たぶん、どんな人にも、勇気を与える。僕らは、どうして、限られた命を、疎かにしてしまうんだろう。今という、かけがえのない時間の、鮮やかさを、浮き彫りにする。この映画は、まさにハートフルという言葉を、体現している。

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026 「重力ピエロ」(2009)

<基本情報>
第129回直木賞の候補となった、伊坂幸太郎の小説を、映画化。
監督は、森淳一が務める。
仙台で起きる、連続放火事件を軸に、家族が抱える謎が、解き明かされていく。
主題歌は、S.R.Sの「Sometimes」。

 特に、何もしない休日。だらだらと朝を過ごし、好きな時間に、飯にありつく。いつものソファーに陣取り、リビングのテレビに、目を向ける。カーテンの隙間から、日光が差し込み、少しまぶしい。飲みかけの水を横目に、タバコを燻らす。そのときに観る映画が、こんな作品だといいなと思える。世界には、面白い話を考える人がいるんだなと、感傷に浸る。次々と、生まれてくるストーリーと、変わりゆく季節。それと反転する、代り映えのない日常と、だらしない自分。だけど、空想の物語は、特段、それを責め立てることは、しない。むしろ、僕の救いになっていく。

 容姿端麗の春(岡田将生)の部屋が、印象に残る。雑然としているようで、一貫性のある嗜好。プライベートな空間を、好きな物で、埋め尽くす、狂気。自分のなかに、人とは違う異質な部分を、認識した時から、生きにくくなった。周りの人間全てが、幸せそうにみえて、どんどん取り残されていく。焦る感情とは、裏腹に、ときは、どんどん過ぎていく。なにかに縋らなければ、正気を保っていられない。それでも、彼は、ひとつの確信とともに、暮らしていく。ミステリーを好んで、観るわけじゃない。いちいち、頭のなかを整理して、展開を待たなければいけないもどかしさが、煩わしい。だけど、この作品は、静かな微熱を保ちながら、きめ細かい振動を、心に伝える。

 家族の絆について、考えざる得ない。春の兄の泉水(加瀬亮)は、大学院で遺伝子の研究をしている。家族への愛情は、血のつながり故の愛おしさなのか。2人の兄弟の関係性、程よい距離感、相手を思いやる気持ち、両親への思い、それら全てが、ひとつの線になって、事件の核心へと迫っていく。僕らは、たえず重力に縛られている。だけど、その重みを忘れてしまうくらい、楽しい瞬間がある。たぶん、それは、幼い頃に、家族と過ごした思い出の中に、潜んでいるのかもしれない。大人になっても消えない、その存在を、より明確にしてくれる役割を、この映画は、担っているような気がする。