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自分のこと

忘れないでいる

 祖母が亡くなり、諸々の手続きに追われ、疲れが出たのかコロナにかかる。ようやく熱も収まり、元気が出てきたところで今、パソコンに向かっている。エアコンの効いた室内で1日中過ごす僕には、季節を感じられるものはない。夏は、どこにいったんだろう。「外はまだ猛暑だよ」と、昨日、仕事から帰ったパートナーが言ってた。

★★★

・感謝を述べる

 夜勤の最中に、その報せはあった。翌日、仕事が終わってから面会した祖母は、何も言わずに横たわっている。死というものは、何なんだろう。有無を言わさず、僕らはこの世界に命をもらい、楽しいだけじゃない、どちらかというと辛いことの方が多い人生を走る。そして、最後はこれまでに何事もなかったかのように、生を奪っていく。何事もなくはない。僕は確かに、彼女のおかげで、今ここにいる。

 不思議と式の最中、涙はでない。人前で感情を出せない不器用な部分を思い出して、いやになる。僕もあの子のように、思いっきり笑ったり泣いたりできたら、いくらか人間に近づけるのにな。しっかりと送り出したい気持ちがある自分は、前よりかは大人になった。骨になった彼女は、小さくなってまとまり、それでもなお存在という意味では、まだ目の前にいるみたいだ。

・ここには何もない

 結局、僕が同性愛者であるとか、そうじゃないとかはどうでもいい。そのことを祖母に言えていたら正解で、言えていないことが不正解じゃない。パートナーとの暮らしがすでにあって、その中で感じる幸せを共有できないもどかしさは、曇ひとつない空に散っていけばいい。理解しあうであるとか、認めあうとかの類の概念を置き去りにして、「一緒に過ごした時間が全てだよな」と祖母に語りかける。

 何かを失って、これまでの自分とは違う自分がここにいる。そんなのは、どこにでもある話だ。時間は、ありとあらゆるものを変えていく。人生も、形も、風景も、気持ちも、色も、命でさえ。人と向き合うことは、少なからずパワーがいる。へとへとにもなるだろう。何かを得たいなら他へ行けばいい。ただ、時が過ぎるのを待つ。それに耐えられないほど、僕は軟弱者じゃない。

★★★

 死んでいくのには、順番がある。いずれ自分の番がくる。それまでは生きる。出来るだけ、素直に、誠実に。忘れないでいること。それくらいしか、僕にはできない。今さら大成功なんて、つかめそうにない。祖母は最後まで聡明で、きれいでした。彼女を思い、パートナーの帰りを待つ。

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心情

移行しました

 画像データを消失しましたが、これからも地道に更新していきます。よろしくお願いします。

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日常・コラム・エッセイ

日常の輪

 外は雨だ。出かける気になれない。アマゾンプライムを開いて、チェックしていた映画を観る。なんてことない休日は、あっという間に過ぎさっていく。何かを取り入れて自分のパーツにしていく。少しずつ引き出しを増やしていく。今はそんなことをしていたい気分。世界は雑音まみれだ。その中から僕にとって意味を成すことを探していく。もちろん見つかることは稀なんだけど。

 最近、新聞記事を書く手伝いをしている。仕事と呼ぶほどではない拙いものだ。それでも新しい体験が刺激になる。何を伝えたいのか。僕というフィルターを通して、社会に放たれる言葉たちは、どんな色をしているんだろう。その人の文章の匂い、手触り、さわり心地。味わい尽くしきれない力は、永遠に近づくような魔法じゃない。それでも水をすくうような優しさを持っている。

 世の中がどんな仕組みで出来上がっているか。そんなたいそれたことではない。刻一刻と変化していく情勢で、いかに生き残るのか。みな必死で戦う。たぶん競争は終わらない。生きていれば知っていく構造を変えるとは、具体的に何を指すんだろう。せめて僕たちは、厳しい世界で、息継ぎができる休憩所を積極的に作るべきなんじゃないか。ゆるく依存できて、ゆるく連帯できるスペースを。

 人との繋がりに利害を持ち込まない。簡単なことだ。ただ気持ちがいいから、あなたといる。そんなだから、ちっとも世界は拡がっていかない。でもそれでいい。開かない人間関係のなかで生きていく。勝手にできていく日常の輪は、徐々に僕の傷を癒す居場所になっていく。守るべき小さな空間の“ここ”から、発信していく。人間を信じてもいいかと思えるまで。

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思考

井戸の中の優しさ

 僕らの苦しみは、いつになったら消えるんだろう。物理的な痛みじゃない。心のどこかを損なったような、もどかしさ。そこにできた空白は何かを求めるように、ありとあらゆる欲望を飲み込んでいく。

 社会と個人の関係を模索する日々。意味のない絆を、繋ぎとめる日常は虚しい。自分のことを大切に思ってくれる心地は、もはや最高級品になった。いくら高額なお金を払っても手に入らない。僕らは、どうあるべきなんだろう。

★★★

・サピオセクシャル

 最近、気になったワード。相手の知性に惹かれるセクシュアリティを指す。テレビの中の将棋をする男性が、腕を組みながら次の一手を模索している姿に性的な魅力を感じていた僕は、その要素を持っていると思う。大学の講義中も、ろくに話を聞かないで、教授の仕草のひとつひとつに色気を感じていた。

 自分を説明する言葉に出会う快感を共有したい。過去のいくら考えても腑に落ちなかった事が、すっと受け入れられる瞬間。本来、概念とはそうあるべきだ。社会がどこに向かっているのか、そこで生きる個人の中に何が起きているのか。疲弊する人生に光が届く。抑圧された個性を解きほぐし、楽にしていく。もちろん、そこにはいつも知性がある。

・僕らの欲望について

 どうやらこれからも世界は人々の欲望のままに、発展をしていくらしい。市場経済でいくしかないだろうし、競争も終わらない。生産性を上げろだの、新しい技術を開発せよだの、生き残るために努力せよだのと大きな体制側は言うのだろう。もちろんそんな謳い文句に乗る必要はないのだけど。

 経済が上手く回ることに、こしたことはない。そうなる方がいいだろう。でも、それが、この世界に生を受けた者の答えなのか。お金や価値は、副次的な産物でいい。主たる僕らがもっとやるべきこと、大切にすべきものがあるにちがいない。例えば、それを道徳や連帯だとする。大国の間抜けな大統領(誰とは言わないけど)に、圧倒的にない視点だ。

★★★

 僕は何も時代に逆行していることを言っているのではない。男性に従順な女性をよしとするのが、古い考え方だと言いたいのではない。自分の頭で考えて行動する女性を疎ましく思う世の中に違和感がある。

 セックスで、男性器を体内に侵入させる恐怖について、もっと語られるべきではないか。女性軽視の社会で、女性が本当の安らぎを手に入れる話しをしてもいいんじゃないか。そこにフェミニズムがあってもいい。弱い立場の人から、もっと声を拾い上げろ。心の空白を埋めるのは、いつも井戸の底に眠る優しさだったりするから。

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日常・コラム・エッセイ

象みたいに進む、あるいは子どもらしく笑う

 昨日はパートナーの誕生日をお祝いして、少し豪華なディナーを頂きました。普段は本当にしょうもないことしか話さない。些細なことで大笑いする僕らは、ただの平和の使者か。今日くらいは真面目な話をしようと、同棲して約1年を経てのそれぞれの感想を言い合った。生活のこと、仕事への向き合い方、お互いの時間、孤独への対処法。理解し合いたいとは思わない。彼は彼で、僕は僕だからだ。

 仕事での失敗を誰かに話すのが怖かった。自分がうまく社会をやれない部分を曝け出すみたいで。これまでは、どうにかこうにか1人でやってきたんだと思う。生き残るための多少の知恵はある。不完全すぎる僕を、あるいは世界に反抗的な不純を、共有する。たいそれたことではない。へこんだ気持ちを言葉にして彼に伝える。それは考えていた以上に、心を軽くした。

 男2人の暮らしは、そんな華やかなものじゃない。きらきらした幸せばかりが転がっているものでもない。まして、そこに正解や答えがあるわけじゃない。でも、不寛容で厳しい風が吹き荒れるこの国の片隅で、地に足をつけながら慎ましく寄り添いながら生きる私たちがいることを、伝えなければいけない。ゲイ・セクシュアリティを、あるいは様々な愛の形を遠ざけようとする世の中だから。

 意地悪な固定観念を乗り越えるために。どうでもいい外野の声で、怖気付いている場合ではない。もうすぐ夏が来る。季節が動くごとに生まれ変わっているみたいだ。壊れてしまったブレーキを携えたように、あるいは止まり方を忘れた象みたいに。とりあえず時間を進めよう。ここから見える景色は決して間違いじゃない。僕はもう、子どもらしく笑う。今までの遅れを取り戻して、大人であることを忘れてしまえ。

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日常・コラム・エッセイ

陽を浴びない草木だとしても

 家族の定義について考える。ペットだって、もう共に暮らす大事な一員になる。時代とともに価値観は変容していき、当たり前が崩れていく。それが嫌だという人もいる。保守とリベラルとの分断は、何を意味するのか。父と母から、僕は生まれた。両親に育てられたという確かな愛が、自分の中にあるのが分かる。そして、もちろん、大人になる。恋人だってできるだろう。家族という枠におさまり、人生を共にする。同性愛者だとしても。

 もちろんシングルを選択する人もいる。結婚が全てじゃない。何が幸せなのかは、本人にしか分からない。孤独死した人を、世間は哀れむ。生前は、さぞ寂しかったのだろうと。生活のスタイルの違い。誰かとの繋がりの在り方の模索。そのままの自分なんて、受け入れられないだろう。だから敢えて孤立を選ぶ。そんな人を揶揄することは、現代的なんだろうか。老後をどう過ごしていくのか。現実的な問題はもちろんある。政治は、そこを突き詰めて考えていくべきだ。

 死んだ後に、葬式にきて欲しいまでとは言わない。ただ、お疲れさまと心の中で思ってほしい。それが家族の定義なんじゃないだろうか。生きることは辛い。最後に労いの言葉をかける。誰しにも、そういう人ができること。希望の光だ。たったひとつの尊い命が、朽ち果てるとき、誰かがそばにいるんだろうか。愛する人が手を握っているんだろうか。究極的には、僕らは誰かと一緒に亡くなることはできない。世界には、こんなにもの人間がいるのに。

 たまたま分かり合えるパートナーに出会えた。同棲にも、少しづつ慣れてきた。(楽しいことの方が多い。)彼と家族になる過程に、今、いる。関係性を説明することの難しさ。陽の目を浴びない草木のように。弱々しい姿だとしても。男同士が一緒に住んだって、友人じゃないか。そんな言葉は、もうどうでもいい。この幸せは、2人にしか分からない。広い空へと叫びたい。自分なりの背丈で。大げさに。これからの未来のために。

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自分のこと

幸福とは、あるいはメランコリックなムードで

 自分を貫き通すって、どういうことなんだろう。最近、そんなことを考えている。もしみんなに平等に、気持ちの悪い部分があると仮定する。(もちろん、みんなのことは分からないので仮定の話になる)その側面って、他人に見せたくないから、隠しながら生きる。幼いときはそれでいい。でも人は少なからず、大人になる。否が応でも。

★★★

・ゲイとして

 日常生活で勃発する会話たち。それが恐怖だった。なぜだか、どこかの瞬間に自分のターンがきて、話すことを余儀なくされる。なんとも、窮屈だ。軽く受け流せばいいのだけど。コミュニケーションとは不思議なもので、そんな僕の薄ら笑いで、場は一気にしらける。

 もちろん計算はする。ここでゲイであることを告げた場合、もし拒絶されたら、明日から気まずくなるのは嫌だ。本当のことを言いたいという衝動を抑えて、次の話題になるのを待つ。そんな日々は、果たして愉快なものなのか。何か悪いことをしたわけじゃないのに、僕の心はいつも下を向いている。

・雨の夜に

 異物のように存在する、僕の中のセクシュアル・マイノリティーとして自我は、年とともに、腫れものようなアイデンティティとして、大きくなっているみたいだ。どうやら、それは具体的すぎるくらい、はっきりとした輪郭を持っている。もし、これをさらけ出せば、排除されるのだと、怯えるのは、阿呆らしい。

 もし嫌がられても、これが自分なんですと涼しい顔で過ごす。それが、自分を貫き通すことなら、僕はそれを、やりたい。むしろそうじゃないと意味がない。そろそろ40代も見えてきた。大人になろうよ、少しくらいは。そんな決意は、言葉が水滴に溶ける、雨の夜に固まったりする。

★★★

 今日も、野宿者は寒さを堪えながら寝床につくだろうし、ガザでは空爆に怯える子どもたちが、眠りにつけなかったりするんだろう。それをなんとも思わない僕らは、狂っているのか。精神的にも、身体的にも、安全地帯にいること、これからもずっと揺るがない自由があること、幸せなんてものは、取るに足らないものだ。でも、それを手放してはいけない。

 もちろん、こなさなければいけない日常がある。自分なりの正解を選択していかなければならない。分からないなりにも。メランコリックなムードで終わりを迎える映画みたいに、人生が進めばいいのに。リアリティだけが、この手の中にある。まるでまやかしみたいに光るそれは、やがて、よき世界へといざなう祈りになる。

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自分のこと

僕の祈りとは逆行して、世界は暴力で満ちていく

 つい確固たる自分なんてものを探してしまう。そりゃ35年近く生きてきた。それなりの答えはある。それが、邪魔をして挑戦を避ける方向に思考が進んでいく。ずっと同じ状態を保つことはできない。生きるモチベーションが上がったり、下がったり。でも、それでいい。揺らぎの中にいる僕は、強くて美しい。途切れない私を紡いでいく。確かな意味を失ったとき、新しく出会う人たちは、優しい顔をしていた。

★   ★   ★

・ノウハウをよこせ、あるいは息をする僕ら

 しくじって失敗する。何度でもある。それを人に話して、一緒に笑う。いわゆる、「ネタにする」という行為。そこに、純真さがあればあるほど、完成度は上がる。嘘のない言葉は、誰かの心に響く。でも、もしそのエピソードが、例えば、自分が同性愛者だと告げなければ、成り立たないものだとしたら。そこで躊躇して、話すのをやめた瞬間が、何回あっただろう。

 ゲイという属性に、特別な役割を見出そうとしているわけじゃない。きっとこれまで、セクシュアル・マイノリティーという言葉さえも一般的でないときから、彼らは暮らしてきた。自分のダメな部分を、さらけ出せず、中に溜まっていく過程で、どのように生活を乗り越えてきたか。そのノウハウを明確にする必要がある。だって僕らは、今もこうして潰れそうな心を持ちながら、息をしているわけだから。

・ひとまず孤独は横へ置いておいて

 揺らぎを人に見せるのが、本当に怖かった。最初に答えを用意しとかないと落ち着かない。きっと不完全な自分は、受け入れられないだろうし、その場から排除されるだろうと思ってた。ここにきて、かっこの悪い僕を見てほしいという考えが芽生えている。大人になるということは、縛りをなくしていくことなのだ。こうじゃないといけないルールを撤廃し、自由に人生を歩く。目の前の見晴らしは緑に囲まれている。

 自分の中に疑問を掲げて、納得するまで考える。一人でいるときは、僕はたえず、それを繰り返していた。でも、それもなんだかつまらない。たぶん孤独に飽きてきたんだと思う。周囲から愛される自分なんて想像できなかったあの頃の僕へ。君は、今でも、死んだ父のことを忘れないでいる。悲しみを共有できるパートナーにも恵まれている。だから、心配はいらない。

★   ★   ★

 こうして文章を綴っている今でも、ガザなんかでは、ミサイルに怯えている子どもたちがいる。戦争を終えよと語りかける遠くの人々の声は届かない。僕の祈りとは逆行して、暴力が世界を支配していく。この同じ空の下で、不条理なことを、いつまで続けていくのか。楽園を描いていく行為に、明確な使命なんていらない。せめて貴方の良心を信じる気持ちが、消えないことを願って。

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思考

天使への祈り

 気の迷いもある。調子の悪い時もある。健やかでいられない日もある。自分を責める気持ちが収まらない。1人になりたい。誰かに迷惑をかけちゃいけないから。孤独に踊る君は、痛々しくもあり、儚く美しい。歳をとれば、分かることもある。時が、優しく僕に語りかけてくる。もう大丈夫だ。さあ、次へ行こう。

★   ★   ★

・友人との飲み会で思ったこと

 久しぶりに会う彼らは、なんだか元気そうに見えた。それだけで嬉しい。あまり僕は話すタイプでもないから、聞き手になる。みなが、それぞれに憧れた生き方があるのだなと思う。アウトローな男の生き様に感化される者、伝統工芸品を作る職人を目指す者、翻訳の仕事に着手し始める者。選択という行動の重み。人生の岐路。正解の道なんてものはない。ここはまだ、旅の真ん中。

 だいたい同年代の集まりだったのだけれど。どうしてこうも、違いができてくるんだろう。個性を尊重しましょうと唱えられて、いくばくか経つ。必死になって、自分だけのオリジナリティー、かけがえのないもの、やむにやまれぬ生きる理由を探す僕らは、本当に生きづらい。だいたい、そんなものは、探しにいくものじゃなくて、向こうからやってくるのだ。いつか訪れる死みたいに。

・血の痕跡

 話って、だいたい背景には何があって、これまでの経緯、歴史を重ねて、どうして今が出来上がっているのかが、含まれている方が、面白い。(僕はそう思っている。)問題意識があると言ってもいいだろう。(もちろん、なんの味気もないくだらなさすぎるエピソードも好きなんだけど。)どの文脈で、それが語られているか、ディテールまで豊かに再現されているか。ときに、散りばめられた言葉の欠片が、心に届くときがある。

 たぶん何にたいして危機感を感じているのかが、その人の話の根幹にあるのだ。これまで生きてきた環境、出会ってきた人々、乗り越えてきた悲劇、そういうものが積み重なって、視点になっていく。こんなくそみたいな世界で、かろうじて自分を保とうとする。争いが勃発し、傷つけあって流れた血の鮮やかさは、生ぬるい日常に、くっきりと痕跡を残す。

★   ★   ★

 もちろん僕は、文章を書く人に憧れている。それくらいのことしか、できない。できることは、限られている。その中で、やれることを地道に続けていく。少しでも、下を向いて泣いている人の重荷を、軽くできたらと。もし天使が僕に舞い降りたなら、暴力をなくしてくださいと、祈る。信じることを、躊躇わない。きっと今夜の月が導く明日は、きれいだから。

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日常・コラム・エッセイ

雨雲、あるいは感情の在り処

 なんだか生まれ変わったみたいな感覚は、何なんだろう。思えば始まりは、あのときだったんだという自覚はある。理由や原因とかではなくて。僕は、いつだって自分でありたいのだ。正直、仕事であるとか、成果であるとか、数字であるとかの類はどうでもいい。それは、しがらみから自由でありたいというのとは、少し違う。もっと素朴で、純真で、イノセンスな風の迷い。目まぐるしい生活の芯となるもの。

 そんなこと言わなくても、お前はお前じゃないかと、あなたは言うだろう。でもそうじゃない。僕はたえず、生まれ変わっている。はじめに言ったように。はたから見れば、不安定な自分を評価しないはずだ。しっかりとした大人でありなさい。責任や役割を果たしなさい。その軸やベクトルから、逃げてきたのが、今までだったのだ。だって、めんどくさいじゃない。足かせになる重たいものは、持ちたくない。

 じゃあ、これからどう生きていくのか。問われているのは、シンプルにそこなんだと思う。これまでとは、違うように見える景色が確かにある。不安や恐怖があるのは、当然だ。というか、戸惑いしかない。つど揺れ動く思考と人生の狭間で、僕は何を望んでいるんだろう。幸せという一言に濃縮される要素は、まだ解離できない。空が遠い。もうすぐ日暮れだ。秋が近い。

 こんな訳の分からない文章に意味なんてあるんだろうか。そんなことを考え出したらキリがない。僕はこういうことを、言っていかないといけないし、言葉にしないといけないという妙な衝動がある。なにもかも順調にいっているようにみえるとき、その安定を破壊したい嘆きは、どこからやってきて、どこに消えていくんだろう。雨雲のように湧いてくる感情の在り処なんて知りたくもない。あるがままの声を届ける。ただ、それだけ。

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