Categories
自分のこと

最後の踊り

 自分の死を、みる見方は、個人の問題だ。肉体は滅びても、魂は残るという人もいるし、死んだ後は、何も残らない、ただ、ずっと無が、永遠に続くという人もいる。その答えは、たぶん、これからも、解明されることは、ないと思うんだけど、どちらにしろ、死はうつろな目をして、鳥にも、光にも、人間にも、小石にも、同等にやってくる。
 例えば、スラム街における貧困だとか、LGBTの人権問題なんかは、自分には関係のないことだからと言って、思考停止が、許可される。でも、死については、そうはいかない。だって、野宿する浮浪者も、政治を動かす指導者も、唯一、みんなが平等に、体験することだから。

   ★    ★    ★

・逆
 ゲイだということを、家族に打ち明けるのかを、迷っている。前までは、別に言う必要なんかないやんって、思ってたけど、いつまでも、有耶無耶にできないという、現実が、迫っているのだろう。お前は、どんなやつと付き合っているのとか、いつ、結婚するのとかを話せない関係性は、親しいと言えるのか。職場の仲良しの人には、簡単に言うことができるのに、家族に説明できないって、順序が、逆なのかもしれない。

・社会に、切り込む
 つまらない悩みかもしれないけど、そんなことで、立ち止まって、考えながら生きている人間がいることを、知って欲しい。もし、無知が蔓延る世の中でも、そこまで想像する力を、拡大できたら、この世界は、いささか、生きやすくなるんじゃないだろうか。少数者だからといって、人と変わっているからといって、笑い者にすることが、だれかをひどく傷つけてしまっているということが、たぶん多くある。揶揄することが、すべて悪いとは思わないけど、悪質なものに対して、だれが声を上げるのか、どうやって切りこんでいけるのかが、いま問われている。

    ★    ★    ★

 環境に配慮すべきだという言論が流布されて、長く久しい。感覚としてのエコロジーともいうべき、全体の流れにたいする感受性は、いまも僕のなかに、渦巻いている。持続可能な社会を求める好奇心が、死生観に大きく影響を与えることは、言うまでもない。死は、むしろひとつの存在だ。死は、人間の助言者であり、人が、最後の踊りを踊るとき、死は、そのそばにすわって見届け、踊りが終わりに近づくと、死が方向を示すのだ。

Categories
思考

沈黙のことば

 自分は、世界で一番大事なものだなぞと、思っとるかぎり、まわりの世界を、本当に理解することは、できない。世界は、いつも、個人を隔離しようとする。あらゆるものから切り離された僕は、まるで、目かくしをされた馬みたいに、真っ暗闇のなかをただ、暴れ回っているだけなのだ。

   ★    ★    ★

・マルクスを、想う
 資本主義が席巻する社会で、誰しもが、いかにして、収益を絞り出していくかというメカニズムについて、知ろうとする。例えば、10時間かけてやっていた仕事が、8時間で、片付くようになったからといって、一日の労働時間が、短縮されることはない。それどころか、上昇した生産性を持って、より多くの生産物を、生み出すことを求めようとする。そして、新たな収益を、資本家は自分のものにして、労働者の報酬を、増やそうとしない。そんなことは、だいぶ前から、マルクスが、明快に答えているはずなのに、なにも変わる気配は、ない。

・どこまで、自己責任を、押し通すのか
 今のうちは、いい。毎月、振り込まれる給料のうち、少しは、貯金にまわして、残ったお金で、休日に恋人と映画を見るような幸せは、手に入れることができる。きっと、何の魅力もない、能力もない人間が、最後まで、人生を、謳歌することができる社会を目指すのが、正しいんじゃないだろうか。おっさんになっても、バイトをしている人間は、底辺なんだから、そのへんでのたれ死んだとしても、自分のせいと、片付けてしまっていいのかを、これからは問い続けるべきなんだ。

     ★    ★    ★

 「自尊心を捨てろ。草に語りかけてみなさい。何を話すかは問題じゃない。ただ話しかければいい。大事なのは、それを自分と平等に扱うということさ。」いつからか僕らは、ヒューマニズムの波に、侵されている。道端に生える雑草や、塀の上をつたう野良猫、サカナやカラスにたいする共感があれば、彼らの沈黙のことばに耳を傾けることが、できるかもしれない。そして、今を取り巻く、不気味な深刻さに気付く感性を、磨くことができるはずだ。

Categories
思考

道化師の衣

 いつも見つけようとして、それでも、なかなか発見できない、<別の世界>への魂の通路は、いったい、どこに存在しているんだろう。それは、出口のない現実からの、逃避であるかもしれない。目に見えない階級の壁が、道を塞ぎ、行く手を阻む。だからこそ僕らは、魂を、存在から、遊離させるような感覚を、忘れることができない。忙しない社会で、騒然としている都会のなかで、蓄積された否定のエネルギーは、押しとどめようもない。

     ★     ★     ★

・イロニー、あるいは滑稽
 他人のまなざしが、否応なく分類し、レッテルを貼り、自分じゃない自分に、仕立て上げようとする。いま感じている「幸福」も、すべてが、よそおわれた、無知のうえに成り立っているなら、「解放」もまた、イロニーにすぎない。そして、それぞれが、用意された最後の避難場所へと、足を運ぶ姿はなんて、滑稽なんだろう。

・貧困とは
 貧しさが、人を殺すことがある。貧困は、生活の物質的な、水準の問題ではない。「考える精神」を奪い、人と人との関係を、解体し去り、感情を、枯渇せしめんとする、そのような、情況の総体生であると、学者はいう。それは、経済的カテゴリーである以上に、僕らの存在、根本を、おびやかす、哲学の分野にも、含まれる、概念のことだと、僕は思う。

    ★    ★    ★

 いつの時代も、変わらず搾取される、労働力。数十万という新鮮な青年、少女を呑み込んでいく、都会の仕組み。余分なものは、排除しようとする社会。飛翔する自由への意志は、遠い夜空の彼方へと、姿を、消してしまったようだ。
 「望むとおりに理解されることの不可能」という一節が、僕の胸へと、突き刺さる。どうしてこうも、他人の要求する自分を、作らなければいけないんだろう。それは、まるで、衣装を、ごてごてと身にまとった、奇妙なピエロではないか。人は、他者とのかかわりのうちにしか、存在できない、現実を憂う。無念にもにた感情とともに、道化師の衣を脱ぐ日を、待ちわびたい。

Categories
思考

対話が、起きるとき

 誰もが、自分を、正しいと、信じて疑わない。それじゃあ、まるで「正義」と「正義」の闘いじゃないか。いつまでたっても、向かっている方向が、ひとつに、定まらない。
 飽きもせず、だれかの不祥事を、騒ぎ立てる。不倫、失言、セクハラ、お金の問題を取り上げて、本当に、支援が必要なひとの声を、届けようとしない、マス・メディア。テレビの中で起きることが、全てじゃないのは、分かる。でも、あまりにも、くだらなさが際立って、チャンネルをかえるスピードに、拍車をかける。世間って、こういうものが見たいのかという、懐疑心が、募るばかりだ。

      ★    ★    ★

・収奪
 都会の、効率性を重視した生活の中で、生まれる不幸を、どうにかしようとする。けれど、書類がないから、ハンコがないから、営業時間外だから、ひとを、助けることができない。現実は、そんななんだろう。みんなが、恵まれた環境にいるわけでは、ない。貧困の最中で、次々と、選択肢を、奪われている人たちがいる。人生には、自分では、どうしようもない問題が、でてくるのだと、誰かが、語る。

・頼ってもいい
 個人主義に、傾きつつある世の中で、低下していく地域力。どうすれば、孤立する人を、減らせるのか。結局は、人と人の繋がりの中で、その縁の中で、生きている人間は、生きるということの、難解さを避けて、通れない。支援を受けることは、正当なことだと、どうどうと、伝えなければならない。互いに助け合うのが、当たり前なのだと、どうどうと、伝えなければならない。当然のように。

     ★     ★     ★

 便利さを追求するあまりに、見失っているものがある。他人のことなんか、考えている暇はない、自分のことで、精一杯だというのは、嘘じゃないんだろう。そういった考えが、生まれるのは、自然だ。でも、だとしても、困っている人がいたら、助けようと、各人が、努力していくことが、必要なんじゃないか。互いに、平等で、水平の関係があって、それぞれに役割があって、それが、互いを、気にしながら、ひとつの音楽を、奏でていくように、対話が起こり、何かが、解決されていく。少なくとも、そんな世界が、僕は、好きだ。

Categories
思考

非意味性

 私は、非正規労働者だ。あるいは、同性愛者だ。いろいろなアイデンティティが、僕を、浸食していく。何層にも重なって、存在する個人の属性を、一つずつはがしていった、その先に残る自分は、はたして、何者なんだろう。もう、本当の自分を探すのは、やめにしないかと、誰かが、語りかけてくる。でも、そうしないと、安心して、夜を過ごせないんだと、僕は、答えるだろう。

     ★     ★     ★

・悲劇を乗り越える
 言葉や暴力や妄想が、ときに、暴発する。猛毒となって、関係のない民衆に、ふりかかったとして、それを、何事もなく、受け入れることは、可能だろうか。争いが、争いをうみ、多くの血痕を、残してきた歴史を、振り返れば、答えは、自然に、湧き出てくる。ときに、それこそ、理性と思想と行動のレベルで、僕らの社会は、僕らの個々人の生は、堂々と、ねじ伏せて、なんとしても、越えていかなければならない。不条理という、終わりなき、悲劇を。

・問題提起
 市場が、拡大し、労働者になる人たちが多いと、競争のもとで、労賃を、安く抑えることができる。雇う側にとっては、好ましい状況だろう。そして、誰もが知っているグローバリゼーションのもとで、富は、集中していく。仕事ができる人間が、得をすること全てを、否定したいわけじゃない。でも、はじめからハンデのある人や、障害をもって生まれてくる人も、いる。なんの落度もない人が、割を食う社会は、どうなんて思う。

・線引きの暴力
 べつに、コミュニケーションをとることも拙い重度の障害者の生にも、意味があるとか、優等生的なことを、言いたい訳じゃない。そういってしまえば、この世界には、意味のある生と、無意味な生があって、命に、乱暴な線引きをしてしまう結果となる。そんな傲慢な態度じゃなくて、もっとわかりやすい言葉で、幅広い年齢層に、伝わるような言葉を、この場では、紡ぎだしたい。そう思ってる。

     ★      ★      ★

 「生きづらさ」を抱えた青年が、耐えねばならないことは、常に、のしかかってくる、命の非意味なんじゃないだろうか。誰でも、一度は考えるだろう。なぜ、自分は、生まれてきたのだろう。自分は、このままなにも、成し遂げることなく、無意味に、消えていくんじゃないかという、焦燥感。平等な、対等な、圧倒的な非意味こそ、ここで、発信しなければならないことだと、僕は、思う。

Categories
思考

2000年と、ちょっと

 これまでの歴史のなかで、取り上げなければならないことは、きっと、人間の悪行だろう。どれをとっても、目をつむりたくなるような真実が、みごとに、軒を連ねている。人が人を殺すという、まぎれもなく、悪であると、断定できる行いを、人は、してきたのだ。戦時下という特殊な状況で、人がたくさん死んでいくことに、慣れていく人がいた。それを、「不幸のルーチン化」と、一昔の学者は、いった。

    ★    ★    ★

・無知
 大人になって、初めて触れる歴史的事実が、たくさんある。学生時分に、何を、学んできたのだと、少し、落ち込んでいる。なにしろ、知らないことが、あまりにも、多すぎるのだ。それほどに、いまの社会が成り立っている理由や、経緯が、ややこしすぎるのかもしれない。現実って、いつも、そんなもんなんだろう。線と線が、複雑に絡み合って、しまいには、毛玉くらいの、得体の知れない固形物が、時の経過とともに、出来上がっていく。現代人は、それを顧みようとせず、繰り返し起きている出来事を、さも初めて起きたかのように、リアクションする。なんて、愚かなんだろう。

・許してはいけないこと
 今になって、優生思想、優勢主義について、考えようと思う。それらが意味することは、他人の損得によって、ときに、人を生まれないようにし、ときに、人に、死んでもらおうという考えや行いだと、捉えることができる。もちろん、ひとつの見方として。ナチス・ドイツの民衆の多くが、それを支持して、極めて、民主的なやり方で、ヒトラーが政権についたという事実を、我々は、深く、心に、刻むべきだろう。その裏で、多くの障がい者が、殺害されたことを、当時の人は、知っていたけれど、知らないふりをしながら、ただ、黙り込んだのか。ヒトラーを後ろ押ししたのは、経済を好転させたという功績が、大きいのだけれど、その要因が、迷惑をかける、障がい者を殺して、負担を取り除いたからだというような暴論を、僕らは、決して、許してはいけない。

    ★    ★    ★

 僕が、一番言いたいのは、ただ一つだけで、あなたが、どう感じるかと、生き死には関係ないのだということだ。例えば、精神の病気であろうが、そのひとが将来、犯罪を起こしそうになることが予測されようが、あるいは、周囲に頼り切ることでしか、命の存続が、難しい場合であろうが、彼が、死ななければならない理由には、ならないのだと、僕は、言うことができる。
 西暦を数えだして、もう2000年が、過ぎたのだけれど、その間に、状況は上向いているのだろうか。野蛮なことは、減ったのかもしれない。けれど、生産しない人、できない人への脅威は、消えたのか。日本は、いささか、昔より豊かになり、福祉も拡大しつつある。一方、少子高齢化を迎え、危機感が強まっている感触をもっているのは、僕だけなのか。それを問いたい。

Categories
思考

果肉に満ちる思想

 この世界は、全部、空想なんじゃないかなって、思う時がある。つまり、目に見えているすべてが、じつは偽物で、その中で、四苦八苦しながら、もがいている、人間の不安定な自我というのも、偽物のがらくたでできている。でも、やっぱり、変わらずに、朝がきて、この社会に、意味を持たせるかのように、ありとあらゆる事象に、光を、降り注ぐ。

   ★     ★     ★

・火種
 僕は、本との巡り合わせを、信じている。あまり、興味の引かないものだとしても、ある日、人に勧められて、手にした書物が、とても面白かったり。その言葉こそ、今の僕が、必要としていたものだという出会いが、ある。けど、読書することにたいして、答えは、求めない。一定の解決を、もたらしてくれることがあったとしても、救われたりなんかしない。それ以上に、より多くの新しい「問い」が触発されること、熱望している。そんな体験の積み重ねが、社会を変える、火種になるのだ。

・魂の解放
 <近代>という時代が成熟し、解体し、その彼方までも、この本は、古くなるということがないのはどうしてか、という問いに、立ち向かうのもいいだろう。見知らぬ他者たちの間で、反響する新鮮な「問い」。魂が、広々とした空間を駆け抜け、あの時空の彼方まで、解放される作用が、発生してこそ、ほんの少し、明日への希望となる光を、つかみ取ることが、できるのだ。

    ★     ★     ★

 本を読むのに、別に、頭がいい必要なんてないし、とくべつな前提知識も、必要としない。ただ、人生と世界にたいする鮮度の高い感受性と、深く、ものごとを考えようとする、欲望だけを、もちあわせていればいい。なにより、僕が、読書に惹かれるのは、表現という氷山の、もっと下の部分の巨大さの予感のごときものに、ぶちあたってしまったからかもしれない。自分で意識して考えたことなんて、ちっぽけなものなんだろう。その作家の本を読むということは、その人間が、何を、生きたかということを、覗き見ることだ。そこに、紡ぎだされている言葉たちを、噛みしめながら、果肉にみちている思想を学ぶ。

Categories
思考

扉の風穴

 神の存在を、身近に感じるのは、物語の中だけである。もちろん、ひとつの神話とも言える。僕たちは、それを、信じることもできるし、また、信じないでいることもできる。けれども、神話とは、真理の語られる様式でもある。さまざまな科学的、あるいは非科学的な見地から、真理の影を、つかみとることが、ここでは、問題なのだ。

     ★    ★    ★

・過度な刺激
 僕たちが、他者との関係において、かたちづくってきたものとは、個我を、ひとつの牢獄として、切実に体感してしまう、感受性であったはずである。この世界を、感覚しようとするとき、自我の解体の危機に、さらされることが、度々ある。それほどに、目の前に、無限に果てしなく広がる景色は、その中で起きていることを含めて、刺激的すぎるのだ。

・概念化
 たとえば、体験することが、あまり新鮮にすぎるとき、それは、人間の自我の安定を、おびやかすので、それを、急いで、自分の教えられてきた言葉で説明してしまう。そうすることで、精神の安定を取り戻そうとする。それを、人は、「概念化する」と呼ぶ。けれど、その行為は、自らの意志とは無関係に、身を切るような鮮度を、幾分か脱色して、経験を、陳腐なものに、変えてしまうのだった。

    ★    ★    ★

 「まったくわれわれ、おかしな動物だよ。われわれは心奪われていて、狂気のさなかで自分はまったく正気だと信じているのさ。」このように、インディオの知者は、語る。人間の身を包んでいる言葉のカプセルは、相も変わらず、自我のとりでとして、これまでずっと、機能してきたようだ。その壁を、越えたとき、真に、未知なるものとして、膨張する世界への、扉の風穴を、こじ開けたことになるのかもしれない。
 僕は、なにも、死に魅入られているわけではない。そして、何より、生が、持て余され、ひとつひとつの命が、光り輝く世界を愛するものの、一人だ。身体のかなたに、ひろがる、いちめんの生は、今日も、僕の中で、躍動している。

Categories
思考

遍在する光の中

 もし、消滅することによってしか、正しく、存在することができないとすれば、それは、美しいかもしれないけど、不吉な帰結だ。他の生命を、殺してしか、生きることができない僕らは、自己の存在を、原的な罪と、把握してしまう。けれど、無理に、ニヒリズムの方へ向かう必要は、ない。

    ★    ★    ★ 

・必要な力
 消失という観念の核が、虚無へと向かうものとは、異質のものであることが明確であるならば、自己の消去が、新しい存在の輝きを点火する力を、もつだろう。そういった信仰を前提とした思想を、僕らは、僕らなりの、納得できる形で、つかみとってこなければならない。きっと、息苦しい時代を生き抜いていくには、原罪の鎖を解く道を、見いだしていく力が、必要だ。

・月のクレーター
 都合のよい自己弁明や、現状肯定の理論なんか、聞きたくない。個のエゴイズムを、絶対化する立場に立つかぎり、搾取する側とされる側の垣根は、越えられないだろう。だれでも、他の多くの人々の労働に、支えられて生きていることは、明白なのに、いつのまにか、ぽっかり空いた、月のクレーターのように、抜け落ちてしまっているようだ。他者たちの支えのひとつになることを、人は<生きがい>と呼ぶ。

    ★    ★    ★

 つまり、人間は、なにが、本当に、良いことであるのかということを、考えないではいられないのだということを、僕は、言おうとしている。善や正義が、自分を犠牲にすることでしか、成り立たないとするならば、それとは、対照的な、自己を尊ぶという行為は、悪になってしまうのかということを、問い続けなければならない。
 恩寵による存在の奇跡を、その瞬間ごとに求め続けた先にあるものは、何なんだろう。自分の死のことを考えないようにしているのだという証言は、救いのなさを表現しているにちがいない。遍在する光の中をゆく、孤独な闇に、失墜する恐れをかき消すように、また、どこかで、陽が、昇ろうとしている。

Categories
思考

雲をつかむ

 いつまでも、纏わりつき、けっして離れようとしない自己は、なんて、あやふやなものなんだろう。自我というものは、実体のないひとつの現象であると、昔、とある詩人が、語っていた。きっと、彼は、はやばやと、明確に、意識していたのだろう。今や、それは、現代哲学のテーゼと、呼ばれている。

      ★     ★     ★

・夢と現
 そっと、夢は、語りかける。日常の風景を、デザインし直して、頭のなかにある映写機で、再生しているみたい。夢が、現実の圧縮された模型であったり、予兆であることを示そうとする理論は、いつからか、闇の中に、消えてしまった。いったい、夢の中で起きていることと、現実で繰り広げられる、慌ただしい生活との境界線に、なんの意味が、あるのだろう。

・生きづらさ
 人間は、清く、正しく、生きなければならないという強迫観念に、支配されている。信仰者として、あるいは、生活者として、僕を貫こうとする意志は、脆くも崩れさってしまう。どうして、こうも生きづらさが、胸の中で、消えずに、留まり続けるのか。知らない人に、後ろ指を指されることを、無意識に、恐怖に感じるのは、まだ、覚醒が足りないからだ。

   ★    ★    ★

 青い空に沸き立つ入道雲が、季節の変化を、知らせている。「雲」は、最も、身近にある自然だ。そして、実体のない浮遊物は、こちらの思念とは、無関係に、淀みななく、宙を、流れている。雲をながめ、雲の声を聞き、雲をつかみたい。綿菓子のような見かけなんだから、きっと、ふわふわしているに違いないと、考えていた子どもには、戻れない。きっと、人は、昔から、吸い込まれそうな、白くて、淡い色彩の美しさに、魅了されたのだろう。あの雲の中で起こっていることを、想像しながら、夏を待つ。