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自分のこと

欲望に花を見つけよ

 試験の問題には、必ず答えがあるし、迷路には、出口がある。でも、人生や、世界も、同じだという保証は、どこにもない。途方もない貧しさのなかで、明日を生きることも困難なとき、迫られる選択肢に、正解なんて、あるのだろうか。豊かな国に、密入国するとか、犯罪に手をそめるみたいな、全てが、間違った解答であるかもしれない。でも、恵まれた人生を歩んできた人には、分からないんだろうけど、現実なんて、そんなもんだ。神様が、いまいがいてようが、人生が、バッドエンドに向かうことが分かっていても、前に進むために、悪に、そまることを、余儀なくされた人たちがいるということを、僕らは、理解すべきなんだろう。

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・オプション
 同性愛のことで悩んでいた当時、僕は、何か前世で悪いことをしたから、今が、こんなに苦しいんだと、真面目に、考えていた。今はというと、神様は、やっかいなオプションをつけてくれたもんだという、くらいになった。たぶん、つぎに生まれてくる時も、ゲイでありたいと言えれば、もっといいんだけど、まだ、そこまでは、いっていない。同性愛は、どうせ奇妙な趣味でしょという偏見があるかもしれないけど、実際は、違うことが、学術的な研究で、明らかになりつつある。性的志向は、うまれつきのもので、わざわざ、選択しているわけではない。

・自由への憧れ
 そもそも、先天的なものなのか、あるいは選択できるものなのかという問いかけ自体に、意味はない。セクシャリティは、もっと自由でいいし、人生を豊かにする要素になる可能性を秘めていることを、忘れてはいけない。けっして、少数者が抑圧されて差別されても、黙って見過ごさないといけないような空気感を、よしとしてはいけない。

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 欲望は、醜い。ときに嫉妬にかわり、怒りにかわる。でもだからこそ、下劣な欲望に、花をみつけよう。くだらない妄想も、尽きることない幻想も、全て受け入れることが、過去を見直すことにつながる。どっちみち、この不衛生な世界を、たった一人で生きていくのだから。はじめから、整備された道があると思うことが、そもそも錯覚だ。人生は、荒れ狂う荒野だ。

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社会の出来事

憎悪の河

 ゴミ箱に捨てられた多くのものが、もう一度、役に立つものとして、機能することは、少ない。いったん、くずとみなされて、そのレッテルと貼られてしまうと、そこから這い上がるのは、いつだって難しい。過去に、犯罪を犯したものが、もう一度、社会復帰できる土壌を養成することが、大事だと思う。

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・元TOKIOの山口メンバーの強制わいせつについて
 誰かが、不祥事をおこせば、メディアは、いっせいに、渦中の人を、吊るし上げる。地位も、名誉も、信頼も、全てを失ってしまった彼を、たたくことが、これ以上必要なのだろうか。悪いことを、したんだから、仕方ないというかもしれない。ただ、誰にでも、内なる欲望が暴走をするサイのように、自分では、制御できなくなる体験は、ないだろうか。それって、男だけの生理的現象だとしたら、今回、失態を犯した彼から学ぶことは、多いはずだ。(なお、男の加害性を、正当化するつもりは、ない。もっと、言えば、刑罰は、司法が決定すればいい。)

・無力
 遠いどこかの国で、戦争が起きている。戦闘行為や、テロリズムの犠牲になるのが、無垢な子どもたちである場合が、ある。そんなことを、ニュースで知るたびに、僕のペシミズム的感覚が、何処かの琴線に触れる。化学兵器の被害にあう人たちの映像は、どこまでいっても、痛ましい。だからといって、日本という恵まれた国で生まれ育ったものとして、できることなんて、出来の悪い頭からは、想像することができない。自分の無力さを、思い知らされると同時に、ニヒリズムに傾斜をかける思考が、爆発するように、まさしく、心の底から、虚無感が溢れ出るのだ。

・いたちごっこ
 だからといって、テロリストを、殺戮することが、正義だなんていう考えには、賛成できない。ひとつの悪を潰しても、また、もう一つの悪が顔を出す。いたちごっこの様相を呈すのは、目に見えている。なのに、アメリカは正義のなのもとに、空爆を行うというし、日本はどうでも良いワイドショーのネタと並列して、各国の情勢を、数秒の割当で、報道する。大衆の目を引くことだけに気を取られるジャーナリズムなんか、別にいらないのに。

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 激しい戦争や闘争や革命の底には、途方もなく、大きく深く強く黒い憎悪の河が、流れている。少なくとも、僕が学んできた世界史は、悲しみの連鎖であるように思えた。その流れを知らないで、倫理を語るとすれば、無邪気であると、僕は思う。

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自分のこと

僕の中に内在化する死者たち

 それは、予告することなく、突然にやってくる。仕方なく、ドアをあけて迎える。きっと、そうだ。絶望を追い返すことなど、誰にもできないのだ。
 「死は、悲しいことではないのよ」という一節に、なんとなく、気が楽になる。死ぬ前と後では、ただ、魂の在り方が違うのだ。亡くなった後も、死者たちは、人の心に、存在し続ける。ときに生前よりも、もっと深く、濃く、そして大胆に。ふいに、それは、もう僕の中に内在化してしまったのだと気付く。まるで初めから、そこにあるみたいに。決して、他者からの問いかけによって、触発されてできたものではないという考えが、確信に変わる。

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・父について
 父について、語ろうと思う。思春期の僕は、きっと誰しもが通る道だけど、親に対して、素直に、接することができなくて、いつだって、素っ気ない態度だった。もちろん、僕は僕で、同性愛のことで、少なからず悩んでいたし、それで、手一杯だったというのは、言い訳だろうか。
 僕が、男の子を好きなんだと、打ち明けたとき、父は、戸惑っているようだけど、なんとか理解しようとしてくれた。よく面白い漫画を見つけては、息子である僕に勧めてくれたんだけど、ある日、彼が買ってきた漫画は、性同一性障害をテーマにしたものだった。それとは、違うんだけどなと、心の中で思いつつ、でも、なんとか歩み寄ろうとしている姿勢が、嬉しかった。

・性的欲望
 もし、彼が「私は正しい」という信念をまげず、かたくなに、心を閉ざしていたなら、それこそ、僕の居場所は、なくなってしまっていただろう。いつだって、正しさの中には、善かれ悪しかれ、暴力性を、備えているということはだけは、確実である。いつも欲望が、自分自身の内奥を、形成しているような気がする。でも、性的欲望は、隠さねばならぬものだから、みんな打ち明けようとはしない。

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 きれいにトイレを、使用してくださいだとか、ゴミは分別しましょうとか、とにかく、世の中は、どこもかしこも、メッセージで溢れているので、少し、うんざりしてしまう。それは、僕に語りかけているようで、同時にその他大勢に、向けられている。はたして、そのメッセージを、深く心に刻むことは、可能だろうか。
 入り口も出口もない人生というものに、途方に暮れる。だけど、父が死んだ夏の、薄暗くなり始めた夜空を、忘れることはできない。この季節は、どうしても、父のことを、思い出さずにはいられない。

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社会の出来事

ディグニティ(尊厳)、あるいは赤い薔薇に包まれて

 いたるところに散らばる、不協和音の欠片が、頭にまっすぐ響く。僕らが、本当に議論すべき問題は、貧困であり、格差であり、環境破壊であるはずだ。どれだけ長い時間がかかろうと、そろそろ、この惑星と、向き合うべき瞬間が、もうすぐそばに、きている。
 「核兵器のない世界をめざそう」なんていうきれいごとは、まだ純真という言葉が似合いそうな大学生が、叫ぶ言葉のようだ。もし、大物政治家が、そんなことを発言すれば、世間の嘲笑を、浴びるかもしれない。でも、はたして、それでいいのだろうか。

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・自由と公正
 発行部数の多い新聞が、認めてくれるかどうかを、基準にして、政策を、決定するようなところまで来てしまえば、もう打つ手はない。数千年かけて築いてきた、何ものにも代えがたい「自由と公正」は、感情的な手段によって、簡単に粉砕される。シリアに、空爆をおこなうかもしれない、トランプ政権に、一言かけるなら、今こそ、見せるべき姿勢は、連帯、寛容、共感といったものではないか。排外主義になれば、それこそ、相手の思うつぼである。

・画一的
 国民全員が、同じ生活水準で生きているなどという、子どもでもわかる大嘘を、かつて、信じていた時代がある。安倍政権の「一億総活躍」というスローガンは、国民を、画一な一つのものにしようとする、意図はわかるが、それに、当てはまらない人間はいない者にされる危険を、はらんでいる。それは、暴力の何ものでもないと、ここで、言っておくことが必要なのだ。

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 富む者も、貧する者も、性別や、性的指向が、自分とは違う人も、すべての人間が、平等だという概念は、教育で教わっているので知っている。でも、その平等である理由が、自分を含めた、すべての人間に、ディグニティ(尊厳)があるからだということは、ピンとこない。あまり、日光を浴びることのない劣悪な土壌にも咲く薔薇は、苦境や貧困に咲く花のシンボルと、言われることがある。赤い薔薇に包まれて、この僕にすら、厳かなものが与えられていることを、思い出しながら、眠りにつく。

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社会の出来事

芽吹きを、待つ

 いつまでも、ここにいたって、しょうがない。この時代に求められるのは、おのれを変えていくことだから、つまらないことで、くよくよするのは、もう終わりにしよう。ずっと、自分探しの旅を、しているような気がする。そして、いつにまにか、本当の自己というものを、恐れてしまっていることに、気付く。しどろもどろに綴る文字からは、退屈を吹き飛ばす刺激からは、ほど遠い、春の陽気が漂う。

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・正義とは
 そんなにも、だれかの不祥事が、世間の注目を浴びる理由が、僕には分からない。間違いを、犯してしまったら、素直に謝り、一定の社会的制裁を受けることで、収束するはずなのに、長々と、続けていくことは、決して建設的じゃない。新聞に踊る「森友問題」という見出しに、一切、興味を引きつけられない僕は、きっと、まだまだ、青臭いんだろう。権力に群がる犬みたいな奴は、抹殺しなければならないと、言わんばかりに批判する、コメンテーターと、自由を求めて戦っているという自負に燃える、マスメディアは、どちらにしろ、正義への道筋を、見失ってはいないだろうか。

・必要な勇気
 圧倒的に男性多数で、そのほとんどが恵まれた環境で育ったエリートで、いわゆるマイノリティーは、希少である国会が、現実の社会を正しく反映しているわけがない。政治家は、支持率を稼ぐ人気稼業に、もはや、なっているという実感が、頭をよぎる。真冬に着るコートを持っていない、こどもたちがいることを、肌で知っている政治家はいないのか。どこの出身だろうと、肌の色が何であろうと、どんな宗教を信じていようと、勇気を出して力を合わせれば、良い国をつくることができると、僕は、信じている。

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 「病気とは、人々が金銭を払ってする道楽ではないし、罰金を払わねばならぬ犯罪でもない。それは共同体がコストを分担すべき災難である。」と、かつての元炭鉱労働者の政治家は、語った。きっと彼は、貧乏人が病気をすると、どうなるかを知っていたのだろう。
 どこまでも、お金にふりまわされる現代人。小銭程度を稼ぐために、人生の大半を費やすのは、はたして、賢いやり方なのか。ずっと変わらない働き方に、もう嫌気がさしている。社会が変わっていく芽吹きを、見逃さないでいようと、必死になるのは、かっこのわるいことではない。窒息しそうな空気をぶっ壊して、もっと、楽に生きていけるようになりますようにと、木漏れ日がまぶしい、窓にむかって祈る、この夜。

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思考

月の光

 差別的な表現は、控えるようにという概念が、社会を、渦巻いている。組織の多様性を促す目標を達成するために、企業が努力するのは、良いことだと思う。でも、過剰なまでの反応は、漂白されきった世の中じゃないといけないという流れを、つくってしまわないか。そんな世界では、ただでさえ、呼吸のしにくい情況を、悪化させるだけだと思う。

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・行き場のなさ
 もう底辺の仕事に、毎日を忙殺される日常は、まっぴらごめんだと、ある労働者が、声を荒げながら言ったとたんに、彼は、この社会から、冷ややかに、排除されてしまうのだろう。現代社会が生み出している雇用は、明るい未来なんて、見えない仕事ばかりではないかという嘆き。将来性のないことは、分かっていても、今日食っていくためのお金を生み出すので精一杯の僕らに、次の行き場などない。たぶん、資本主義は、非正規雇用という低賃金労働者なしでは、立ち行かなくなっているのは、目に見えている。それでも、拡大する格差について、真剣に議論する余裕は、いまのところなさそうだ。

・そんなもん
 例えば、イスラモフォビアという言葉について、思考する。日本にも、ムスリムに対して、嫌悪感を持つ人は、きっといるんだろう。伝統的な価値観にそぐわないと、閉め出すという行為は、いささか、暴力的だと思う。イスラムへの理解が深まったとしても、実際は、社会のなかに蔓延するヘイト感情の行き先が、変わるだけだ。人間て、そんなもんだ。

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  ただ、人の喋る声だったり、笑っている顔を、画面に映したいだけという理由で、つけられているテレビが、今日の出来事を、淡々と語る。別に、熱心に観ている訳じゃない。なにかしら、孤独を紛らわす装置が、僕らには必要なようだ。だれにでも、ふとした言葉のなかに隠れている刺によって、傷つく場合がある。そのときは、心の中に、小さな部屋が用意されていて、その中に閉じこもり、時が経つのをじっとして待つ。天井にはいった、小さな亀裂から差し込む月の光に、祈りを込めながら。

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思考

模倣

 人とは違う部分を、武器にして、お金にかえる時代がきたと、一人の賢者が語る。誰だって、不完全な自分を、消すことなんてできない。ありのままの個性が、すでに、愛されているというのは、少し呑気すぎやしないか。その他大勢に埋もれながら、私という牢獄のなかで、もがきながら生きていく人生に、辟易している。

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・哀愁
 才能、オリジナリティー、非凡さだけが、この社会を、生き抜くために、必要なんだ。そういって、なんの取り柄もない人を、排除していく。都会の波に、もまれながら、ずる賢さを、身につけていく日々。まがいものが、氾濫する世界において、今度は、誰が、偽物をつかまされるのかを、注視する、他人のまなざしは、どこか、哀愁さえ、漂っている。

・ひずみ
 排斥するのが、目的なんだと、堂々と、主張する彼らのなかに眠る、劣等感と、自尊心。どんどんと、生きづらくなる世の中に、なにかものを言いたげな、心のひずみは、隠しようがない。独自性を、尊重するというきれいごとのそばで、ひとりひとりが抱える、ここに至までの、複雑な経過を、蔑ろにしているのは、乱暴のほか、なにものでもない。

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 人格も、性格も、人間性も、断片的なものによって、形づくられている。いま、僕が発する言葉も、時折みせる仕草や、頭の中を巡る思考さえも、すべて、模倣に過ぎないなら、この私という自我は、どこからやってきて、そして、どこに、向かっているのだろう。年の瀬の、慌ただしさのなかに身を任せては、どこか、ぎこちない大人になりきれない自分を、さらけ出す。傷つくことを恐れて、震えている誰かへ。良い年を、迎えることができるように、祈りをこめて。

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思考

ここではないどこかをめざして

 人生のなかで、どうしても、折り合いのつかないことを、笑ってやりすごすことができる。そうやって、どうしようもない自分というものと、なんとか、付き合っていけるのだろう。僕たちは、僕たちの人生に、縛りつけられている。いろんな不充分さを抱えた、この自分というものに、閉じこめられて、一生を、生きるのだ。

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・鎖を解く
 家庭や、結婚は、こうあるべきとか、女性や、男性は、こうあるべきだと、思い込んでいて、それが、がんじがらめに縛る、鎖になっている気がする。そして、そこから、外れた人は、自分が、悪いのではないか、自分は、もう幸せになれないのではないかと、思い込まされる。

・区別から逃げる
 同性愛の人、子どもが、できない人など、家族や結婚に関してだけでも、いろいろな生き方がある。それに、働き方や趣味のありかたなど、生きていくうえで、している、ありとあらゆることについて、良いものと、良くないものが、決められ、区別されていく。まるで、自分は、幸せについて、正解を、知っているかのように、語りだす。それは、ひとつの暴力なんだと、思う。

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 僕らは、いつでも、出口を探している。あるいは、生きている実感、リアリティーを、欲している。そのためには、他人だって、傷つけるし、手首を切って、生暖かい血に、浸ってもいいのだ。それほどまでに、今を生きていく困難さを、訴えたい衝動は、止まらない。
 実際は、自分が住んでいる街のことしか、知らない。まるで、好きなところへと、出かけていく自由を、剥奪された身として、生きているみたい。でも、外の世界にむかって、開いている窓をあけて、どこにでも行くことのできる感覚は、何なんだろう。僕らは常に、ここではない、どこかをめざしている。

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思考

束の間のかがやき

 人間が、物質的存在として、あり続けてる、世界においては、どのような神も、永遠の生命も、存在しない。僕らのさきに、待っているのは、やっぱり、死だという事実は、隠しようがない。やがて、土に還るときまでの一瞬のなかで、思考を、巡らしたり、誰かを、愛したりする不思議さを、僕は、忘れたくない。

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・近代的とは
 メディアでは、新しいムーブメントにたいしての、名称が、とりだたされる。なかでも、僕は、「孤独死」や「無縁社会」という言葉に、関心を、抱いた。人生の最後を、一人で迎える意味を、考え続けた。多くの人は、そんな最期を迎えるのは、悲しいと、捉えるだろう。でも、きっと、価値観は変化していくし、呼称だって、移り変わる。一人で死ぬことを、受け入れて迎える終わりを、「独尊死」と名付けた。一人でも、安心して死んでいける社会を、築いていくことが、近代社会のひとつの道なんじゃないだろうか。

・衝撃
 現代社会に蔓延る、悪にたいして、どう向き合っていくかを考えたすえに、釜ヶ崎という、日雇い労働者が、野宿して生活する場所に、足を踏み入れることになる。そこで、話を聞いていくと、誰しもが、現実的に、死について考えることは、困難だと話す。明日どう、生きればいいのかという、不安に陥っている、現状を、垣間みる。基本的に、生活に必要なことに不自由していない僕は、衝撃を受けることになる。

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 人生の、ある一定の期間くらい、ひとは、学ぶ時間が、あってもいい。なにかの、役に立つためとか、立派な大人に、なることを、目標にせず、ただ、自分の関心の、奥に、突き進んでいく。それは、豊かさの、象徴になりうると、僕は、思っている。
 みんなが、やがて死すべき者として、ここに今、出会っている、愛おしさは、どんな風にいえば、伝わるんだろう。人間の意識も、人類の全文化もまた、永劫の宇宙のなかでの、束の間の、かがやきにすぎない。

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思考

<目の独裁>

 かつて、ジョン・レノンが、「イマジン」(想像してごらん)という歌を、うみだした。この歌が、こだましつづける、当時の日本は、どんな時代を、むかえていたのだろう。生き方が多様化してくるこの頃、市民社会の前提を、つきくずしてきたのかもしれない。でも、まだ、令状がくれば、戦場に行くというふうに、身体の中にプログラムされ、埋め込まれているのだとしたら、それは恐ろしい。

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・エンドレスリピート
 人は、生まれてきたときから、世界は、こういうものだと、教えてくる。だから、自然に、教えられた世界以外の世界を、見ようなどという、選択の余地を、奪われる。いったん、このような世界の在り方が、確立されると、僕らはそれを、たえまないことばの流れによって、死ぬまで、くりかえし、再生しつづける。

・世界を止める
 「商品に値段がある」とか、「お金で人を雇える」といった当たり前のことを、不思議に思う感覚は、一度、持ってしまうと、なかなか、離れない。一見、平凡なもののようにみえることも、少し考えれば、奇妙なこととして、問題的に感じることは、生きにくいのかもしれない。だから、「世界を止める」、すなわち、自己の生きる世界の自明性を、解体することが、僕にとって、必要になってくるのだ。

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 これまで築いてきた文明は、目に、依存していると、言われることがある。目の世界が、唯一の、客観的な世界であるという偏見に、満ちている。でも、そのような<目の独裁>から解き放たれたとき、はじめて、世界をきく、世界をかぐ、世界を味わう、世界にふれることが、できるのかもしれない。そのとき、この社会の複雑性を、知り、奥行きまでも、変えてしまうはずだ。