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社会の出来事

誤謬

 空白の時間が、孤独という怪物を、呼び覚ましていく。自分の死に、一体どれだけの意味があるのかを、問い続ける日々は、空虚に等しい。最終的に、国家や宗教や社会に、死の意味付けを、求めるようになれば、僕らは簡単に、偽物の思想に、身を滅ぼすことになる。結局は、最期の瞬間まで、僕は僕でいたいという欲求が、収まることはないのだ。

     ★     ★     ★   

・言論の自由
 新潮45の休刊という報せを、ネットニュースで知る。小川榮太郎氏が寄稿した論文の内容を受けて、炎上した責任をとるという形らしい。炎上商法に乗っかるにみたいで、雑誌は買ってないし、記事の内容も、しっかりとみてないけど、どうやら、中身は、杉田水脈氏の論文を、擁護する立場なのだ。言論の自由は、あっていいと思う。でも、だからといって、何を発言してもいいわけじゃない。文章を書く人なら、分かると思うんだけど、自分が綴る文字たちが、どんな人に届いて、どんな作用を引き起こすのかに、それはそれは、繊細な努力を積み重ねている。

・最低限の気遣い
 思考のプロセスを、提供していると言ってもいい。変に、感情を逆なでするような言い回しを避けたり、他人を容赦なく傷つけるような言葉を、使わないようにしようとする試みが、阿呆らしくなる彼の文章の内容は、マジョリティーの横柄さが、にじみ出ている。そんな気がする。読者の顔色をうかがうような文章を書けと、いっているんじゃない。どうしてもっと、最低限の、他者を気遣う態度を、示すことができなかったのかが、僕は、問いたいのだ。

    ★    ★    ★

 風が、いつもより強く吹いている。かと思えば、ほんの数分後には、秋を思わせる、すこし生温い風が、僕の素肌を横切る。風のことについて、僕らが知っていることはわずかだ。それと同じように、古代史や癌や海底や宇宙やセックスについて、知らないことはいっぱいある。誤謬を犯したときでさえ、まばゆいばかりだ。「無知を恐れるな、偽りの知を恐れよ」と、ある賢者がいった。もう、傲慢な考えで、へこたれるのはこりごりだと、少し肌寒い気候が、慰めてくれる、そんな夜。

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favorite song

フラッシュバック

季節がひとつ、めぐるたびに

僕は、僕に近づいていく。

そんな気がする。

分からなかったこと、

知らなかったこと、

見ようともしなかったこと、

全部が

点と点を結ぶように

線になっていく。

紡ぎだす愛という

螺旋状の糸は、

いったい、どこに

辿り着くんだろう。

みんながみんな、快楽を求めるから、

世界は汚れてしまう。

生々しい、歌詞が、印象的。

ねぇ、忘れないでね。(現:センチミリメンタル)の「ラブソング」。

こんな、愛の歌が、あっていい。

明日がくることが

たぶん、決まっている。

それでも、今日という日は

一生のうち一度しかない。

そうやって、無理矢理、

意味を持たせて、

毎日を、だまくらかす。

どんなにときが、流れても

何度も、何度も、

思い出してしまう場面がある。

ふとしたことが

きっかけで、

フラッシュバックする記憶。

どうして

僕らは

不都合な真実だけを忘れて、

美しいものを覚えているんだろう。

いっそのこと

すべてを

忘れられたらいいのに。

微かな熱を持った思い出と

不確かな未来を携えて

歩こうと思う。

この、いやになるほど

リアリスティックな世界を。

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思考

静謐なひととき

 季節の移り変わりを意味する静寂によって、あるいは、その美しさによって、僕の感覚は、研ぎすまされる。あいまいな、いつまでたっても安定しない、たよりなく揺れ動く自我が、どこまでいっても出口のない迷路を、さまよっている。それは、大人になりきれない、魂の叫びを帯びている。いつになれば、不完全という枠組みを越えて、卓越した精神を、手に入れることができるのだろう。迷いがひしめく夜に、書き綴る文章は、どこか危なっかしい。

    ★    ★    ★

・浄化
 これまでに蓄積された毒素は、誰かの手によって、浄化されなければならないと、考えるのは、危険だろうか。そもそも、毒づいた言論なんて、そこらかしこの落ちているじゃないかというかもしれない。でも、僕らは、そのひとつひとつを、丁寧に、すくい上げて、全力の闘魂で、追い返さねばならない。それが、アカデミックな世界に課せられた使命だと思うし、一人で、うずくまって、泣くことしかできない彼らが、すこしでも、生きやすい世界を獲得する、鍵になるのだ。

・死者の声
 戦争の歴史を紐解くとき、それは、すでに誰かの視点が、紛れ込んでいる。完全な中立や、公平で偏りのない思想なんて、ありやしない。じゃあ、僕らは、誰から過去に起きたことを、学べばいいのか。そこで諦めてしまえば、いっそ楽なのかもしれない。でも、時空の狭間を越えて、炎の戦禍のなかで、死んでいった者たちの声が、なりやまない。

   ★   ★   ★

 すべての人間は、時と場合によって、ありとあらゆる残虐行為を、行使しうるという真理を、知らしめる必要がある。もう、こんな時代に、戦争なんて起きる訳がないよ、ましてや、ファシズムなんて流行らないと、思考停止することで、世の中から暴力が消えるなら、それで構わない。だけど、現実は違う。テレビのむこうで活躍する、オリンピックの選手の母国が行う空爆で、人が死んだりする。
 もう静謐なひとときを送る時代が、来たんだと、歴史の道しるべが語る。なにも、過去への執着を、強調したいわけじゃない。これまでより、存在感を強めるテロリズム。そんな暴力なんて、目新しくもなんともないと、一蹴する勇気が試されている。そこで、はじめて、歴史は、死んだ人間を離れて、今を生きる僕たちのものとなる。

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詩的表現

ホーリスティック

世界で起きている事象について

どうやって記述すれば

正確に伝えることができんるんだろう。

簡単に、一般化や抽象化をしてしまうと

薄っぺらい文章になる。

ホーリスティック(全体論的)な思考は、

一歩、ひいた視点によって、成立する。

それは、僕らが思っているよりも

困難な作業だ。

ただ、あなたの言葉が

とても重々しく、

意味のあるものだと思った。

死ぬことを、

考えるよりも

明日を生き抜いていくことで

精一杯だ。

でも、もし余裕ができたのなら

いつかは消えてなくなる存在であることを

思い浮かべてごらん。

孤独とか、絶望とか、不安とか

胸の中に押し寄せる黒いやつは、

人生で、最も尊い灯火となる。

心の闇を照らすように、

優しい星のひかりみたいに

輝きだす。

それまで、待てばいい。

ありのままの現実を、

受け入れるには、たぶん重すぎる。

呼吸がしやすい方へ、

向かえばいい。

命は、尊い。

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社会の出来事

瀉血のごとく

 夏の暑い、うなだれるような日差しを目の前に、部屋で寝そべりながら、蝉の鳴き声が耳に響く。もうそろそろ、言い争いはやめにしないかと、虫が教えてくれているみたい。誰かの意見を、批判することは、構わない。相手の見方を尊重しないで、自分の見解を、ただただ繰り返すだけじゃあ、議論とは呼べない。誰かの、もやもやとした気持ちを、言語化できる識者が、僕らには、必要なようだ。夏は、刻一刻と終わっていく。だけど、まだ暑さは続くのだよと、かんかん照りの気候が、報せてくれる。

    ★    ★    ★

・だけど、言いたい
 同性カップルに、法的な権限をあたえるかどうかの問題で、杉田水脈衆院議員の主張に、注目が集まっている。そんななかで、自民党の谷川とむ議員が、追い打ちをかけるように、同性愛は、趣味と変わらないと発言し、波紋を呼んでいる。無知っていうのは、簡単に、人を傷つける切れ味のすごみを含んだ、言葉に早変わりする。それを、念頭に置かなければならない。自分の考えを発言することは、同時に、違う立場の人を、追いやることになりかねないということは、ブログやSNS上で情報を発信する人は、知っておくべきだろう。
 一方で、彼らの発言を受けて、冷静に、声をあげるべき人たちが、的確な論評を並べてくれることが、当事者として、素直にうれしかった。たぶん、もう、僕の言うべきことはないと思う。あったとしても、同じことの繰り返しになる。だけど、言いたいから書こうと思ったので、こうしてつらつらと、文章を書いている。

・暮らしたい世界
 杉田氏の「LGBTは生産性がない」という旨の発言は、多くの人が感じているように、とても偏った意見だと思う。そもそも生産性をもって、人間の価値を決めようとすることは、とても、危険だ。よく仕事をして、成果をあげる人だけが優遇され、仕事ができない障がい者や、子どものできない夫婦は、蔑ろにされる国なんて、はたして、僕らが暮らしたい世界なんだろうか。暴力的な線引きをしない、差別されても何も言えない社会的弱者だとしても、安心して暮らせる社会を、構築することが仕事のはずの政治家がいう、言葉ではない。僕は、そう思う。

    ★   ★   ★

 僕は、良い社会というものは、他人どうしが、お互いに親切にしあうことができるような社会だと、思う。でも、実際に、優しくするのは、とても難しい。もしかしたら、親切が相手には、おせっかいになるかもしれない。街は、それを、知ってか知らずか、だれしもが、無関心に溢れている。知らない人に声をかけてはいけないというルールを、かたくなに守っている。身体のなかで脈打つ心臓が、瀉血のごとく、朝やけ色に染まる。そうだ。この痛みこそが、生きているリアリティーなのだと、僕の脳みその奥から、語りかけてくる。

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思考

茘枝(ライチー)の皮

 どうして、こんなにも、息苦しくて、生きづらくて、決して居心地のいいものではない場所で、だれも認めてはくれない我慢を、強いられているのだろう。別に、理解して欲しいなんて思ってない。ただ、成熟(してるのか?)している社会で、たぶん、一昔前のような勢いはない、経済が伸び悩んでいる状況において、気持ちよく生きているやつって、既得権益に保護された世代だ。そんな奴らは、自分とは利害の関係ない人権論なんかに、耳を傾けようとはしない。

    ★    ★    ★

・疼くもの
 自由貿易に賛成な人たちが、人が国境を越えてやって来ることには、反対だったりする。わけがわからない。でも、考えてみよう。たぶん、どんな判断にも、損得勘定がつきまとう人たちは、こうすれば少しでも、社会が、良い方に変化していくんじゃないかを考えない。別に、それが、悪いといいたいんじゃない。誰だって、損をするのは、いやだ。でも、それじゃ、だれが僕の中で疼く、良心というか、道徳というか、モラルみたいものに、向き合ってくれるのか。今日も、いうまでもなく、高価で買えない薬をもらえず、病気で人が、どんどん死んでいる。

・人口について
 人間が増えると、地球環境に悪いんだから、減ればいいという人が、いる。それなのに、日本では、少子高齢化で、働き手が減るし、経済にも悪影響だとされ、人口の減少を、防ごうとしている。どちらにしろ、人口を操作しようとすることは、僕は、野蛮だと思う。自然の営みに、任せればいい。子どもが、たくさん欲しい人は、そうしたらいいし、逆に、少ないなら、少ないなりに、いいこともある。たしかに、高齢者を、あるいは、かれらを含めた社会というものを、若者が、支えなければならない。それは、そうだ。だけど、それに、平然と対処できる社会を作れないほどに、僕たちは、愚かなのか。それを問いたい。

   ★     ★     ★

 無垢で、純真な、てのひらが、頬に触れる。氷のような冷たい皮膚から、儚さが伝わる。僕の身体を流れる黒い血に、にている、甘酸っぱい果実の皮をめくり、その裏側をみたい衝動に、駆られる。茘枝(ライチー)の皮を、はがしながら、夏のむせかえる緑のにおいを、鼻にふくませて、次の季節を、待ちたい。

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思考

逡巡

 内輪で持ち上がる三角関係や、カップルの痴話喧嘩、TVドラマやワイドショーの中で繰り返される、陳腐なトラブルやゴシップ。それをくだらない、関係ないと信じていた頃が、あった。それはやや、傲慢であったかもしれない。今になって、自分の内側に膨れ上がる感情の激しさに、戸惑いを隠せない。

     ★     ★     ★

・噛み砕けない事実
 「死は、生のひとつだ。」と、小説の一節が語る。たしかにそうだと、ふと考え込む。僕たちは、数ある選択肢を、慎重に選んで、あるいは選ばずとも、たまたま、今という場所にいる。そして、その中で、死を選ぶ人がいることを、多くの人が知っている。なにも、自殺を、肯定したいわけではない。そうでなくても、不条理な死は、いくらでもある。もっと、生きたくても願わなかった人生がある。でも、やっぱり、死を選ぶことも、「生きる」ことの選択肢の一つでないかという事実を、噛み砕けないでいる。消滅によって、成就できる生命があっても良いじゃないかという思考が、僕の中を巡る。

・むごい世界
 みんながみんな、学校である程度、均等な教育を受けているはずなのに、できあがる人間に、どうしてこうも、違いがあるのかを考えたことがある。違いはあって、あたりまえだし、それで良いというのは、少し呑気だと思う。遺伝子やら、DNAがという話をしたいんじゃない。目の前に広がる社会の仕組みの嘘を、暴くなんていう、たいそれたことは、できないけど、少なくとも、何が何でも正しいとされている中にある矛盾を、追求していかないと、ずっとこのままが続いていく。それは、なんていったらいいか分からないけど、結構むごいことだ。

   ★    ★    ★

 悲劇とういのは、他人から見ると、喜劇だというけれど、その真ん中にいるひとにとってみれば、それはそれは、重苦しい試練であって、生きるか死ぬかの闘いだ。悲しみの渦中では、分からないことがある。起こること全てに意味があって、それらが愛おしく感じるなんてことは、きっと、もっと時間が経過したときだ。まだ、僕らの逡巡に、迷いに、決められないなにかに、胸が焼けそうになる。きっと、朝になれば、そんなこともつゆ知らず、新しい一日が始まる。

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社会の出来事

祈りが届かないとき

 僕は、ただ生きたいと、思っている。社会に貢献できているのか、あるいは生産的な仕事に従事しているのかとは、関係なく、ただ単に、生きたいのだ。そして、それは、ある程度、達成できている。命の保証がされている。今のところ。細かく言うと、他人に、どう思われようが、殺してしまいたいほど憎いと思われようが、それによって、人の生き死にが、左右されることは、許しがたい。あたりまえのことかも、しれないけど。

    ★    ★    ★

・母親の重責
 今回、目黒で起きた女児虐待事件について、考察することがあるとするならば、子育てをすることが、今の社会で、どれだけ大変であるかではないだろうか。迷惑をかけてはいけない、なにか失敗をすれば、自己責任論が持ち上がる。そんな窮屈な世界で、子どもを養育しながら、かつ自分の人生を輝かせる生き方ができる母親が、どれだけいるだろうか。(そもそも、育児や責任が、母親側に偏っている問題が、ある。)全ての女性が、強いわけじゃない。

・閉鎖された場所で
 議論の的として、被害にあった女の子を、いかにして、救いあげることができたのかが、焦点になりつつある。それも、間違ってはいないだろう。でも、その家族を閉鎖空間へと導いたのは、まぎれもなく、社会の方であるし、さらに、いうならば、他でもない、僕たちであったはずだ。もっと、生きたいと願った女の子が、いた。親に愛されなかった子どもが、いた。愛されないのは自分が悪いのだと、自分を責める人間がいた。それを、忘れないでほしい。

   ★     ★     ★

 生まれてくる全ての子どもが、健康に、健やかに、愛情を惜しみなく注がれながら成長できることを願ってやまない。だけど、僕らが生きている社会では、複雑な要因が絡まって時に、凄惨で、残虐な事件が発生する。どんなに強く祈っても、祈りが、届かないときがある。それなら、いったい何を思えば良いのだろうか。結局は、ひとつひとつ丁寧に、話を進めていくほかはない気がする。虐待は、なにも今回、表面化した事件だけではない。だから、できることがあるし、あるいは祈ることもできる。どうか、陽のあたらない孤立している家庭に、光が降り注ぎますように。

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社会の出来事

時間を持たない天使

 連日、世間を賑わすゴシップが、僕の感覚を、鈍らせる。議論すべき大切なことのようで、よくよく考えてみれば、そんなに長く時間をかけてやるネタでも、ないんじゃないと、ふと気付いてしまえば、テレビは、あっさりと、必要のない粗大ゴミに変化する。誰かの不幸をもてはやしたり、失敗してしまった人を、くだらない正義感をたてにして、批判を繰り返す民衆は、愚かだ。なのに、マスメディアによって、今日も、かたよった世論が、形成されていく。僕は、聴衆の感情的な感性を利用した重苦しい、まとわりつくようなお昼の情報番組が、嫌い。

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・感情の種類
 勝間和代氏が、同性愛をカミングアウトしたニュースを、インターネットで目にする。きっとその瞬間、僕と同じように、その報せをみた人が、大勢いたはずだ。僕が、注目したいのは、そのとき芽生える感情の種類だ。きっと、気持ち悪い、そんな話聞きたくないよと感じた人は、一定数いると思う。もちろん、他人を、拒絶する権利はある。問題は、同性愛に免疫のない人が多数派で、それが、正しいと思い込んでいることだ。

・可視化
 守るべき立場も、失うものもない僕が、カミングアウトするのとは、違う。彼女の決断は、勇気のいることだと思う。当事者たちの苦労や孤独を溶かすことができればと、願う。この流れを、大事にしたい。これから、身近にLGBTがいることが広まって、可視化が、どんどん進むと、僕は考えている。それに伴い、いい面もあるだろうし、悪い面もある。もちろん。日本は、まだまだ当事者たちの権利において、後進国だときくし、社会が、変わっていくのは好ましい。もちろん、どう変わっていくかが、大事だけど。

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 いつまでも、時間という概念に縛られている。消し去ることはできない過去から、目を背けることは、時間を持たない天使になろうとすることに、近い。そうじゃなくて、僕らに、必要なことは、天使になろうとせず、人間の地位にとどまり、過去と和解しようと努力する姿勢だ。そこから、未来への階段が開ける気がする。

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思考

恩の流れ

 僕らの歴史を、ちょっとでも振り返れば、残虐と恨みは、無尽蔵に見出される。それらの類いの感情は、簡単に、すべてを、呑み込み尽くす。ときに暴発した情念は、暴力となって、他人に襲いかかる。言葉や芸術でも、処理できない、なにかをもてあましながら、人間は、これまでを、どうにか過ごしてきたといって、過言ではない。
 じゃあどうしたら、他者を傷つけず、おとしどころを見つければよいのか。いじめは悪だ。ない方がよい。なくしなさい、なくした方がよいと語って、攻撃性がなくなるのであれば、話は簡単で、倫理学も、法律も、いらなくなる。言葉で、なくすことはできない。いくら言葉を積み重ねても。だからといって、言葉は無力であると、短絡的に考えるのは、愚かだと思う。

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・ちっぽけな存在
 今まで築いてきた文明を含め、人間という個体の生成は、ひとつの奇跡だ。たとえば、神様が、存在したとして、かれは、果たして予め、現在の世界を、計画していたのかどうかは、疑問だ。たぶん、この世界は、もうとっくに神様の範疇をこえ、未曾有の未来へと、向かっているのではないだろうか。地上で暮らす僕たちは、もう軋轢や差別に、耐えられないでいる。途方にくれて、ただ涙を流しながら、祈るくらいしか、術を持たない存在なんて、とてもちっぽけだ。僕は、そう思う。
 もちろん、無数にある身の回りの奇跡にいちいち驚いていたら、生活を静かに送ることはできない。病気や苦難のなかで、絶望していなければならない期間があるからこそ、当たり前の毎日が、輝きだす。

・なにを、信じるか
 過去は、もう消すことができない。僕は、もう生きてしまっているし、それを、なくすことはできない。そして、どうせ生きるなら、楽しい方が良い。悲惨な事件なんて、起こらない方がいい。でも、現実は違う。どうやら社会は、なにか、間違ったものを信じているようにさえ、思う。

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 〈私〉とは、存在の一つの通路だ。風が通るための。あるいは、過去と未来が出会うための。恩は、与えて返されるものではなく、与えたものが別の者に与え、それが、さらに、別の人に伝わり、順々に巡っていき、流れていく。恩の流れは、途切れることなく続いていく。満ち足りた沈黙についで、やってくる愛を、受け入れて、朝の光を待つ。