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詩的表現

エゴイズム

居場所がない。

でも、涙はでない。

社会不適合者だと、だれかが罵る。

すべてを壊したいなんて思わない。

ただ、ここに居ていいんだという確証がほしい。

それは、エゴイズムなんかじゃない。

テレビのなかで、もっともらしい正論を唱える政治家のほうが

よっぽど利己主義じゃないかと、あなたは思うだろう。

金持ちは、どんどん裕福になり、

貧乏人は、めいいっぱい苦労する。

格差社会と呼ばれて

いったいどれだけの月日が経ったと思っているんだよ。

もう僕らは、走り疲れた。

結局、自己責任という理論で、すべての口をふさぐつもりなんだろう。

名もなき人たちの声を集める時がきた。

どうせ民衆は愚かだと、たかをくくる指導者は

なにを成すべきなのかが、分からなくなっているにちがいない。

もっと、人間が好きになれますようにと、

遠い遠い空にむかって祈る。今までも。そして、これからも。

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映画レビュー

004 「雨の日は会えない、晴れた日は君を想う」(2017)

<基本情報>
監督は、ジャン=マルク・バレ。
演技派で知られるジェイク・ギレンホールを主演に迎える。
原題は、「DEMOLITION」(解体、分解)。
容姿端麗な妻を亡くした男の、心の再生を描いたドラマ。
劇中で使われている、ハートの「Crazy On You」など、音楽の効果も、作品に大きな幅をきかせている。

 突然、家族を亡くしたときの悲しみは、その当事者にしか分からない。そして、それを乗り越えていく手法は、確立されているわけではない。人は、突然訪れた不幸に対して、ただもがく程度のことしかできないのだ。この物語の主人公は、一滴の涙さえ流さない自分に戸惑いながらも、不器用だが、懸命に、起きてしまった事故に向き合おうとする。

 原題にあるように、彼は身の回りのいろんなものを、破壊していく。そうすることによって、心の在り処を見つけようとする。周囲の人は、狂気じみた行為に、怪訝な顔をするのだが、それくらいが、丁度いいと、僕は思っている。大切な人を失ってしまったときくらい、人は不合理になってしまっていい。ずっと、正常でいることの方が、狂っている。それを、この作品が、教えてくれた。

 自分自身を、ゲイだと自覚し始める年頃の少年が、登場する。彼との交流によって、主人公は、素直に生きる術を学んでいく。一目もはばからず音楽にのったり、幸せでいるには笑顔が欠かせないと諭すように、一緒に笑ったりする。たわいもないやりとりが、徐々に、自分の成すべきことを明確にしていく。

 いってみれば、これは、悲しみの感情を、表に出せない人への、あるひとつの答えとも言える。ありとあらゆる感情は、綿密に、心の中に溜まっていく。それを吐き出す術をもたないくらいに、不健康なことはない。「愛は、そこにあった。ただ、それを疎かにしていた」と、気付いていく人間の、清々しと、実直さは、観る人の心をわしづかみにする。

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映画レビュー

003 「映画 夜空はいつでも最高密度の青色だ」(2017)

<基本情報>
詩人・最果タヒの同名詩集をもとに製作された、意欲作品。
監督は「舟を編む」の石井裕也が務める。
ヒロインには、映画初主演となる、石橋静河が抜擢された。
彼女の瑞々しい演技が、様々なシーンで輝きを放つ。
石井監督と相性のいい池松壮亮は、つかみどころのない、風変わりな青年を熱演。
現在、同監督による「町田くんの世界」が、公開中。

 日雇い派遣、孤独死、放射能汚染、外国人労働者などの一見、重々しいテーマを、東京の片隅でひっそりと暮らす男女が、心を通わせていく模様と交えて、描き出していく。2人が、徐々に距離を縮めていく過程が、丁寧に描写されている。ひとつひとつの台詞とともに、彼らが抱える感情や、孤独感、都会で生活する虚無感が、観る人の心にゆっくりと刻み込まれていく。

 「嫌な予感がする」と、劇中で彼らは、何度も確認しあう。いったいそれが何を指すのかは、分からない。震災、死、テロリズム、僕らに降り掛かる災難は、間違いなく、この先にあるのだという予期は、案外、間違っていないのかもしれない。でも、この物語は、悲しいままで終わらない。最後には、希望という、しっかりとした形のなかに、昇華されていく。

 どうして、人は、恋愛をするんだろう。悲しみを紛らわすために、くっついたり、離れたりするのは、本当に愚かだと思う。そんなことを言い出せば、まったくの純真無垢な恋なんて、存在しないとあなたは思うかもしれない。でも、べつにそれでいい。正しさや、清らかさだけを追い求める夢追い人は、きっと、そうじゃない人を、排除していくだろう。僕らの心の中の、真っ黒な感情が、誰かを救うこともある。この世界は、複雑で、それ故に、美しい。そんな気がする。

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映画レビュー

002 「これが私の人生設計」(2016)

 これは、イタリアの物語である。海外の作品って、あんまり肌に合わないという人もいると思う。でも、この映画は、自然と腑に落ちたように、僕の心の隙間を埋めてくれた。とあるゲイ男性が、登場するんだけど、そのキャラクターが憎めない設定で、笑いを誘う。自分が、ゲイだからか分からないけど、同性愛者が描かれる作品に興味が惹かれる。

 たぶん、同性愛に限らず、セクシュアリティが僕の人生に大きく影響しているからだ。映画は、ひとつのフィクションに過ぎない。だけど、そこには間違いなく客観的な風刺が、影を忍ばせる。そこから繰り広げられる思考は、観る人の心を、解きほぐすかのように、安心をもたらす。

 主人公は、優秀な建築家なのだが、男社会で結果を残すことに苦労している彼女のひたむきさは、素直に心をうつ。たぶん、この映画を売り出そうとしてターゲットを決めるなら、おなじ悩みをもつキャリア女性になるんだけど、僕は、男性にも観て欲しいと思う。ある意味、女性が活躍できない社会は、反作用として、男らしさの呪縛を背負うことになる。男性が、泣き言をいえば女々しいと言われる社会は、生きにくいと、はっきり語らなければならない。性差別に、立ち向かわなければならないのは、なにも、女性だけではないのだから。

 集合住宅で暮らす少年、少女たちの目の輝きが、印象的だ。再開発案を練る主人公との交流が、微笑ましく描かれている。人が、営みのなかで、あるいは大人になっていく過程で、なにが必要なのかを、浮き彫りにしていく。生きにくいのは、あなたにも責任があるという言論に感化されないストーリーがある。他人のために、誇りをもって一生懸命になる姿に、勇気づけられるのは、間違いない。

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自分のこと

レリヴァント、あるいは僕らの出来事

・善意と悪意
 誰かの善意が、この世界を、輝きのあるものにする。もっと優しくなれたら、あの人のように、心からの笑顔を、他人に向けられるようになるのかなんて、考えてしまう。「ありがとう」という言葉が持つ力は、普遍的にまぶしい。人と人とが織りなす風景が、無限に輝き続ければいい。親切が、空虚にすり替えられるとき、世界は、音もなく、消え去ってしまうだろう。
 どうやら、悪意というものは、共感が共感をうみ、もとあったものからは、想像できないくらいに、増幅していくようだ。この社会に、渦巻く憎しみという感情の行き場は、必然的に弱者に向けられる。インターネット上で飛び交う罵声を鵜呑みにするやつは、馬鹿だと言わんばかりに、過ちをおかした人間に、大きな声で正義を語る。まるで、あなたは、生きる価値がないと諭すように。

   ★    ★    ★

・アイロニー
 高校生の僕は、なんというか不健全だった。健やかな心持ちになるなんてことは、たぶん1年で3回くらいだったし、夜になるたびに、ベッドにくるまっては、希望のない明日がくることを恐れていた。未来なんて、いらないと思ってた。親への感謝なんてものは、微塵もなく、繰り返す日々を、ただ惰性で生きていた。たった一人で、言葉にはできないむず痒い感情と向き合っては、少しでも世界がよくなるように祈っていた。ありったけの皮肉を込めて。

・孤独
 今も思うけど、僕は誰に思いを打ち明けるべきだったんだろう。同性愛を自覚し始めた頃の特有の孤独感を、どう説明したらいいか、僕には皆目、検討がつかない。思春期の不安定な自我を抱え込み、大人への道を進むときに、周りに理解者がいない心細さは、荒野に置き去りにされた子犬のように、ただ震えることくらいしかできない無力さを浮き彫りにする。涙を流すことで救われる毎日にすがる僕は、本当に惨めだった。

   ★     ★     ★ 

 人は、レリヴァント(意味的な関連があるか)な情報や言葉に、心惹かれる。自分のことを分かってくれているなという文章は、その人の心に残りやすい。世の中に溢れるキャッチコピーも、観る人にとって、共感を生み出そうという意図が見え隠れする。ただ、当時ゲイである僕に向けられている情報は、あまりにも乏しかった。同じセクシュアリティの友達を探す方法なんて分からなかった。恋愛について相談できる相手がいれば、本当に生きやすかったと思う。残念ながら、僕らの人生にふりかかる出来事は、楽しいことばかりではない。絶望の淵で生きているかもしれないあなたに、ここに綴る言葉が届けばいい。そう願っている。

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映画レビュー

001 「パーマネント野ばら」(2010)

 例えば、女の子がうずくまって泣いている。少女から大人へと変化する時期の、彼女たちの憂鬱を、僕は、思い知ることはできない。およばぬ場面で、性的な対象として、見られることだって、遭ったかもしれない。ここで、フェミニズムについて、語ろうとは思っていない。ただ、女性の人生において、自分たちの力では、どうすることもできない苦難がある。それに、立ち向かわなければならないことを想像できない社会は、いささか生きにくいのではないか。

 なぜ、涙を流しているのと聞くこと自体、ナンセンスだ。社会で渦巻く憎悪や嫉妬や偏見が、思いもよらず、個人を傷つけてしまう場合がある。言葉にできない思いについて、語らなければ、その傷跡さえ、なきものにされてしまう現状を、変える手だてはあるはずだ。だから、だれかが声をあげるべきなんだと思う。それが、映画としての表現だっだとしても。

 この物語は、海辺の街で営まれる美容室が、舞台となっている。そこに集まる女性たちの恋愛は、決して綺麗ごとだけでは語れない人間味で溢れている。本当の意味での他人を愛するという醜さだったり、愚かさを、細かく描写し、観る人にとって、不思議な共感をうむ。誰かを思い続けなければ、正常を保っていられない彼女は、きっとまた、強くなれる。それを、証明してくれる映画であることは、間違いない。

 まず、邦画と洋画という区別がある。どちらを好むかは、それぞれだ。初めてのレビューで、どの作品にしようか、迷ったんだけど、やっぱり好きな映画にしようと思い、この作品にしました。洋画で観るような、派手なアクションだったり、壮大なスケールの世界観ではないけど、邦画にも優れた力作があるんだと、知って欲しいです。

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映画レビュー

映画について、語ることがあるとするならば

 新しい風に、手をかざす。少しだけ、先が見える。心につながる道を通り過ぎる旅人は、いつか歩みを止める。そんなときに出会う言葉は、ありふれたものかもしれないけど、まっすぐ、響くに違いない。

・僕が何にお金を使ったのかという話
 率直にいって、映画が好きなのである。一時期、休みの日になるたびに、一人で映画館に足しげく通っていた。一日に2本だったり、立て続けに鑑賞したりしていたもんだから、順調に、お金は飛んでいった。なぜ、そんなことをしていたのだろうと今になって考えても、分からない。ただ、感情を揺さぶる形としての、なにかしらインプットされる物が、僕には必要だったのかもしれない。それは、屈折した感情のはけ口を探してさまよう、子羊のようだ。不安定な価値でさえ、認めることを許さない社会について、もの言いたげにして表現をする映画が、僕に生きる希望を与えてくれた。
 もし、映画について語ることがあるとするならば、僕は間違いなく、愛の風景を構築しようとする表現者の結晶について話すだろう。時代背景、社会的要因、ストーリー、登場人物、台詞、どれも映画を構成するものとしては、欠かせない。全てが歯車のようにかみ合ったときに起こす作用は、僕たちが生きる根源に、しっくりと影響を及ぼす。

・原体験
 ひとつ、具体的な作品を挙げたい。初めて映画をみた体験として覚えているのが、「猿の惑星」なのである。幼少期に、たまたまテレビで放映されているのを観たんだけど、最期の「自由の女神像」を発見するシーンに、衝撃を受けたのを記憶している。ここで、あらすじは説明しないけど、終盤で物語が、点と点を結ぶように繋がる瞬間が引き起こすエクスタシーに酔いしれた。

 とりあえず、僕が過去に観終えたものを、手短にレビューできたらなと思っています。映画の好き嫌いは、個人によって分かれるので、お前の感想なんていらないよという方は、スルーしてください。よろしくお願いします。

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社会の出来事

つながり、あるいは家路につく途中で

 幼い頃の記憶が、徐々に風化していくのが、分かる。数十年の時を経て、僕は、大人になった。でも、なぜだろう。酒を飲みながら、楽しそうに話す父親の姿が、それを見守る優しい母親の眼差しだけは、忘れない。というか、どこまで考えても、僕のルーツは、そこにしかないと思い知る。
 仲睦まじく手を繋いで散歩する老夫婦、母親に連れられて保育園に向かう子どもたち、いぶかしげな表情で、目の前の風景をカメラで写真に収めようとする青年、朝のなにも変哲のない公園の風景は、やがて営みとなり、過去となり、歴史となる。1日1日が積み重なってできる現在が、今日も、滞りなく終わればいいと思う。そこで生まれる人と人とのつながりは、なにものにも、代え難い。

    ★     ★     ★

・再考
 川崎殺傷事件を、ネットニュースで知る。報道を見ていると、孤立する人間を、いかに社会に包括していくかが、語られたりする。でも、ひとりになることを自ら選んだ人間を、気にかけるほど、世間は、甘くないという人もいるだろう。ひとりで死ぬなら、迷惑をかけず、だれも傷つけずにひっそりと死ねという気持ちも、少し分かる。誰もが生きづらさを抱える社会で、あるいは、まともに生きることが難しい時代に、僕らは、いかに、つながりを維持していくのか、自分と他者を結ぶゆえんは何なのか、生きがいをみつけるには、どうすればいいのかを、もう一度考えてみるべきだ。

・たくさんの人間たち
 こんなおかしな社会で、悲惨な事件をおこす奴がいても仕方ないという、空気感が怖い。まぎれもなく社会とは、僕ら自身のことであると思うし、そんな世の中を、是としてきたのも、僕らだ。じゃあ一体、自分たちに何ができるんだと、あなたは思うだろう。まず、僕が取り上げたい視点は、たくさんいる人間を、同じとして、考えていいのかということだ。容疑者は、他人との接点は、皆無に近かったという。でも、たぶん孤立している人間は、他にもたくさんいる。(ひきこもりと呼ばれたりする。)それが、事件の要因となったのか、あるいは、彼自身の固有の問題なのかを、見極めるべきだと思う。

・バックグラウンドを考える
 それによって、社会が行う介入の仕方が、大きく変わってくる。もし、おなじ状況におかれた人間が、同じように、犯罪を起こす可能性があると考えたとしよう。きっとそれは、多くの人を傷つけるだろうし、差別や偏見を生むだろう。個人的に僕は、人間は同じように見えて、実は異質な存在だと考えている。だって、そりゃひとりひとり育ってきた環境や、出会ってきた人が違ったら、考え方も、それぞれになるだろう。まして、生まれた年代や、国籍が違う人間を、同じグループとして捉えるのは、強引すぎではないかと思う。

    ★    ★    ★

 この事件について、有識者たちが、意見を述べる。そりゃそうだろう。なにか言わなきゃ、あるいは分析して新たな知見を得なければ、どうして、何の罪もない人々が被害に遭ったのかを、呑み込めない。テレビで交わされる考えはどれも一般的で、当たり障りのないものかもしれないけど、そうやって、次に悲劇をうむ前に、どうにかしないといけない焦燥感が、みなにある。死んでいい命なんてない。社会をかえることができる。亡くなった人たちの魂に、思いを馳せる。それは、いつも仕事が終わり、家路につく途中だったりする。

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思考

そこにあるものとして

 幸せというものは、そこまでして、複雑に考えるものではないのかもしれない。ただ、ふとしたときに、生きがいを感じることができればいい。それは、日常のなかでかいま見れる、ほんと一瞬なんだけど、愛おしい。夕日をみながら、今日も一日が、終わることを、かみしむことができれば、上出来だ。孤独に宿る魂が、火を噴き始めたとき、一人でいることの空虚さを、思いしるだろう。僕たちは、この生きにくい社会で戦おうと決意し、そして、幾度もなく、感情の扉を開いてきた。もし、それが何の意味も持たないとしたら、人生というものは、いささか、残酷である。

    ★    ★    ★

・いっそのこと
 競争社会において、人より劣っていることは基本的に、問題とされる。仕事につけなかったり、貧乏な生活をすることになる。ときに、他人を蹴落として、這い上がる卑劣さを持ちなさいと、あなたは言う。そうであるならば、スタートラインは、同じにするべきではないかと、僕は言うだろう。障がいをもって生まれる人、勉強ができない人、要領の悪い人、貧乏な家庭に生まれ育った人、それらの全てを個人が背負い込まなければ成り立たない世界なんて、いっそのこと滅びてしまえばいいと思う。

・怒りを、あらわす
 それが成熟した社会だと言い張るならば、僕は、断固として反対する。人は、何の理由もなく頭が悪かったり、仕事ができなかったりする。そんなことを理由に、優劣を付けられ、社会から排除される世の中なんて、望んではいない。貧困のさなかで、誰からも援助されず、這い上がるチャンスさえ渡そうとしない仕組みが、あるいは、どん底から抜け出そうとする努力をあざ笑い、しょせんお前は、底辺で生きていればいいと吐き捨てる人間が、憎い。

・エクストリーム
 そんなものは、所詮、エクストリームな例でしかないと、あなたは言うかもしれない。大半の人が、普通の人生を送っているんだから、何の問題もない。そこにある「普通」という言葉が、僕には、暴力にみえる。普通じゃない人を遠ざける社会、一旦、道を踏み外した者の更生を鑑みないマスメディア、安易な情報操作で影響される大衆、そこには、もう希望という不確かな期待さえ、存在しない。だからと言って、簡単に絶望してはいけない。

    ★     ★     ★

 人は一旦生きてしまえば、生き続ける。そこにあるものとして。あなたが、どれだけ、不快に感じようが、僕はここにいる。思想や、政治的信条によって、他人の生き死にが決定されるほど、恐ろしいものはない。不条理な死を、見過ごしてきた過去に、戻るのは嫌だ。だからと言って、今がベストな状態とは言えない。急速に変化していく社会が、どこに向かおうとも、良心にそって生きる人が、報われる日を待ちたい。

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思考

イマジナリーに、終わらない

 どうやって社会の変化を解釈しようかと、躍起になっている人たちがいる。急速に変わっていく世の中は、知ってか知らずか、あざ笑うかのように、彼らを黙認しているようだ。いったい、どれだけの人間が、幸福な未来を描けているのだろう。もし、仮に自殺した人の声をきけるのだとしたら、あなたは、どんな問いかけをしたいのかを思考するといい。そこには、きっと自分がどんな風に生きて、そして、死んでいきたいのかという複雑な考えが、絡み合っている。

    ★    ★    ★

・吐露する
 貧困に苛まれる国民、豪遊するお金持ち、政治に無関心な若者、いわれもない差別を受けるマイノリティー、普通に振る舞いなさいと教育される子どもたち、みずから命を絶とうとする精神障害者、青春を謳歌する学生、大人になりきれない大人、余生を送る高齢者、悟りをひらいた僧侶、誰しもに思い当たる、基本的属性は、虚しく台所にあるシンクの水路に流されていく。もう、男をやめたい、女であることに疲れたと、吐露するのも、たまにはいい。どうやっても捨てきれない、自分の本質に苦しむあなたは、けっして、愚かではないはずだ。

・声を、あげよ
 学歴や職業、年齢、性別、国籍によって、どんな風に、扱われるかが、左右されるのは、かならずある。案外本人は、その属性のせいだと気づかない。「僕は○○だから、こんなひどい扱いをうけたんです」というのは、言い訳ではない。差別が、もしそこに実在したのなら、それは声をあげなければならない。けっして、自分を責めるんじゃなくて。

    ★    ★    ★

 他人を理解するのは、難しい。なんでお前は、そんな馬鹿なことをしてるんだと思う時は、多々ある。特殊な体験をした人の話を聞いて、自分なりの解釈を加え(もちろん、一方的なものではなく)、社会背景と関連づけて文字にする作業は、いわゆるアカデミックな世界で、滞りなく行われている。そんな文章は、イマジナリーな役割でしかないという批判は、当然ある。でも、そこにある事実なんて、あってないようなもんだと決めつけるのは、愚行だ。
 いま、当事者たちが語る物語性に、耳を傾けなければ、いったい、どうやって歴史を認識すればいいのか、途方に暮れる。その人の人生に降り注ぐ、希望や不安が、たとえ目に見えなくても、現実社会に押しつぶされないように祈ることを、忘れたくない。